2017071724 848c8838.jpg私は昔から、武田信玄という人がどうしても好きになれませんでした。でもそのわけが、この詩を読んでみて判った気がします。

偶作 武田信玄
鏖殺江南十萬兵 鏖殺(おうさつ)す 江南十万(註1)の兵、
腰間一劍血猶腥 腰間(ようかん)の一剣 血猶(な)ほ腥(なまぐさ)し。
豎僧不識山川主 豎僧(註2)は識(し)しらず 山川(さんせん)の主、
向我慇懃問姓名 我に向かって 慇懃(いんぎん)に 姓名を問ふ。

(註1)江南十萬兵 長江の南の国の兵。だが日本のことですから、駿河や相模武蔵の国をいうのか。
(註2)豎僧(じゅそう) 小坊主 糞坊主

南方の国の十万の兵を皆殺しにして、
腰の一振りの剣はまだ血なまぐさくにおう。
糞坊主は、この山河の領主である私が判らないので、
私にたいして、丁寧に姓名を尋ねてくる。

一句目の「鏖殺江南十萬兵」を読んで、私は当然にすぐ明の太祖朱元璋洪武帝を思い出します。私は明の皇帝など、この洪武帝も、永楽帝も少しも好きになれませんでした。だから、この信玄の詩も、自らをそうした明の皇帝になぞらえているのかと思ったものでした。十万の兵を殺すことを、詩の上でも得意になることが私は少しも好きになれないのです。
この詩を初めて詩吟で詠ったのは21歳のときでした。そのときに一度しか詠ったことはありません。練習で詠っただけでした。
こうして漢詩を作成するときに、明のこうした非情な皇帝たちと自分を同じような偉大な英雄としていたというのは、私にはどうしても嫌な思いしか浮かびません。甲斐の南方の国というと、駿河の今川氏や相模の北条氏を思いかべるというのでしょうか。信玄はそれらの国とは、連携していたことも長かったはずです。
どうしても私は、上杉謙信のほうが好きになります。信玄の死後、上杉は武田氏を守ろうとするではありませんか。
私はどうしても、洪武帝も、永楽帝も、武田信玄も好きになれません。

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