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 私の 周の掲示板 に 松山博さんという方から、以下の書込みがありました。

滝川事件の歌について  投稿者:松山博  投稿日:2009年 6月19日(金)12時53分14秒
 プログ将門を興味深く拝見しております。取り扱いジャンルの広さ、多さ、深さには驚くばかりです。
 さて、表題の「滝川事件の歌」ですが、この歌は現実に聞いたことがあり、全歌詞を紹介して頂き感動の他ありません。中で、疑問が2点生じましたので、ご教示いただければ幸いです。
09061315 8番 「京都へ帰る飛行機でプロペラばかりが威勢よく〜」の部分ですが、
  当時、京都へ帰るのに飛行機を使うことがあったのでしょうか。
  普通は汽車だったと思うので、少し違和感を感じます。
元歌「戦友」の10番は「それより後は一本の〜」ですが、滝川事件の歌ではその部分が欠如しています。意味敵にもやや飛躍があり、戦友の忠実なパロディーとしては少々奇妙な気がします。当時、戦友を14番までそらんじる人は普通にいたと思われるので、あるいは資料の欠損部分かとも思うのですが如何なものでしょうか。

09061316 ありがとうございます。私のこの件に関してのUPは以下であるかと思います。実は私でも、昔にUPした内容なので、「あれ、どこにあるのかなあ?」と探してしまいました。

 周の革命の歌 に書いていたのでした。

   http://shomon.net/uta/utakaku2.htm#takigawa 滝川事件の歌

 この歌は、以下のようになっています。

歌名 滝川事件の歌
 曲    「戦友」の譜

一  ここはお江戸を何百里
    離れて遠き京大も
    ファッショの光に照らされて
    自治と自由は石の下
二  思えばかなし昨日まで
    真先かけて文相の
    無智を散々懲らしたる
    勇士の心境変れるか
三  ああ戦いの最中に
    俳句ひねりし総長が
    インチキ案をしめしたに
    軟派は思わず駈け寄って
四  停年近いころなれど
    地位が見捨てて置かりょうか
    もはや辞表は撤回と
    あわれな声明も夢の中
五  折から與論の攻撃に
    残留教授は顔あげて
   「妻子のためじゃかまわずに
    講義しよう」と目に涙
六  世評にこころはとがむれど
    やめてはならぬこの体
    強硬教授と別れたが
    わが身の破滅となったのか
七  戦い負けて欠員の
    講師をさがす東海道
    どうかたくさん来てくれと
    心の中に願うたに
八  空しく消えしその望み
    京都へ帰る飛行機で
    プロペラばかりが威勢よく
    うなっているのも情なや
九  思えば円満解決の
    望みが見えずなった時
    教授会で手を握り
    固き結束誓うたに
十  肩をたたいて口ぐせに
    どうせ命はないものよ
    辞めてよろしく頼むぞと
    言いかわしたる教授連
十一  思いもよらず軟派だけ
      不思議に命ながらえて
      暗いファッショの京大で
      共の後釜ねらうとは
十二  くまなく晴れた月今宵
      心ホソボソ筆とって
      古いノートでゴテゴテと
      デッチあげたるこの講義
十三  形ばかりはととのえど
      マイクの前で学生に
      聞かせる時を思いやり
      思わず冷汗ひとしずく

09061317 私がこの戦後(昭和21年だったかな?)の映画『わが青春に悔いなし』を見たのは、たしか1968年の4月の終わりか5月だったかと思います。(でも思い出せば、この時期は私はバス代値上げ阻止闘争と、王子野戦病院闘争と、自治会の闘争で、いつ映画館へ行けたのかなあ?)銀座の並木座でした。
 それで、この歌の歌詞は、たぶん私が「周の革命の歌」の「はじめに」に書いている本からとったものだと思います。それが今は読むことができません(私の家にあるのかどうかも判りません)ので、調べることができないのです。
 あの映画の中では、昭和8年に起きた滝川事件で、学生がデモしてこの替え歌を唄うシーンが僅かにあるだけですので(それを見た09061318記憶がわずかに私の頭に残っているだけです)、私にはよく判らないとしかいいようがありません。
 たしかに、なんで以下のような歌詞になるのかは、判りません。

    京都へ帰る飛行機で
    プロペラばかりが威勢よく
    うなっているのも情なや

 たぶん、この滝川事件の歌も正確に歌える人もいなかっただろうと思いますし、そもそも、この本でこうして書いてあることが驚異的なことでした。
 09061319昭和8年の事件を、昭和21年の映画で描いていて、しかもその映画でも僅かとしか思えないシーンですから、今となりましては、私には、もう判らないとしか言えません。

 私はただただ、この映画の原節子のことのみを思い出すばかりです。昨日も、私は思い出していました。私がときどき北鎌倉を歩いては、なんとか原節子に会えないものかな、とそのことばかりを考えていたことを思い出していたものでした。

 写真は6月13日の午前10時代です。長女とポコ汰とほかの公園に行きました。でも最後はポコ汰はお母さんに抱っこされています。