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 いつも、この会からの報告を、IC Home の大村さんからのメールで読んでいます。この毎月開催されている「親鸞を読む会」に行きたいなという思いばかりがあるのですが、でもでも、京都へ行くと、もう私はあちこちで飲みたくばかりになってしまいことばかりが予想されてしまいます。
 その大村さんからの先ほど11:29のメールで以下のようにありました。

 パク・ピョンシュク(朴 乗植)教授が、日本人は無宗教ではない、お地蔵さん、神社、お寺、教会でも何処でも手を合わす、これはある種の宗教性である、言っておられたのも、なるほどと、心から感得しました。

 その通りだと思います。私は神社ではどこでも手を合わせるようにしていますが、でも成田山だと駄目ですね。成田山は、成田だけではなく、実にどこにでもたくさんあるのです。でも私は私の将門さまを討った俵藤太をどうしても許すことができないのです。でもそのほかの神社はどこでも手を合わせます。お地蔵さんにもそうですね。お寺も、少し道元には、少し面倒な人なんだなあ、なんて思いながらも手を合わせます。教会は、いつも「文語訳『聖書』」を読んでいますので、教会にもいい感じを抱きます。ただし、『聖書』もその教会もいいのは、戦前のある時期にみな天皇制に屈服して、それで統一した『聖書』を作ったことにあるのですね。日本のカトリックは少し面倒です。

 いつもメールをありがとうございます。親鸞もちゃんと読みこなせないといけないなあ、と思っています。歎異鈔はいくらか読んできたつもりでいますが、教行信証はまだまだ読み込めていません。

 この写真も6月17日の午後6時29分、飛鳥山公園の線路わきのあじさいです。