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 わが家のおかあさん2009.08.22 に次のように書いたことですが、

 源頼家の墓に詣でたのでしたが、娘二人が「パパ、何してきたの?」というので、「頼家に、『もう政子お母さんを許してあげてね』と言ってきたよ」というと、娘二人もまたそのお墓へ登って、手を合わせてくれたものでした。もう修善寺温泉のたくさんのことを思い浮かべてきます。

 このことはどこかへ書いていたのじゃないかと思ってさがしましたら、次にありました。

   明日の家族旅行(2004.08.16)
   伊豆の家族旅行(2004.08.23)
   伊豆の家族旅行 の2(2004.08.30)
   伊豆の家族旅行 の3(2004.09.04)
   伊豆の家族旅行 の4(2004.09.13)

 これは比較的長い記録です。私のメルマガに書いていたもので、日付はそのメルマガの発行年月日です。
 この中で、頼家の墓へ行ったときのことを、次のように書いています。

 それからあちこち歩いて、頼家のお墓にいきました。階段の上にあるお墓に「では、パパが代表してお参りしましょう」と言って階段を登ります。そして降りてきて、

   頼家に、「もうお母さんを赦してあげてね」と言ってきたよ

といいますと、おはぎもブルータスも頼家のお墓にお参りに階段を登りました。
 政子母は、実の子どもたち(たちというのは、結局また実朝も殺すことになるのですから)を殺したのは、実に長年貴族に虐げられてきた鎌倉武士団の作った幕府こそが大事だったのだと伝えました。「修善寺物語」の原点になった夜叉王の作ったとされる面を娘たちも見たわけですが、あれを見た母政子の気持はどうだったのだろうと哀しくなります。
 娘たちは、政治のためには、実の息子を殺してしまうということをひどいものとして深く感じたようですが、私は

   そんなこと、鎌倉時代の話じゃないよ。今だって、政治のためには、会
  社のためには、実の子どもだろうが、実の親だろうが殺してしまうような
  現実がまかり通っているんだよ。

 妻が隣で頷いてくれます。

 思えば、このときにはまだポコ汰はいないのですね。いえ、今ではポコ汰の言動にもう右往左往しています私ですからね。
 でもこれは4年前の夏ではなく、もう5年前の夏のことでしたね。

 この写真は8月17日の朝9時27分です。