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 それで、まだ書かないとなりません。
 アジア的段階については、ギリシア=ローマの時代が古典古代と言われるものの前の時代だと思われます。ヘロドトスの「歴史」で描かれているペルシア戦争のダレイオス1世やクセルクセス王の側が明らかにアジア的と言われる段階です。
 次のトゥーキューディデスが書いている「歴史」(岩波文庫では「ペロポネソス戦史」という題名になっています)は、この古典古代社会における戦争を描いているのですが、何故かアテナイの敗北までは書いてありません。
 ただこの2つの歴史に関する書物は、古典古代社会であるギリシアとその前のアジア的な社会であるアジアの姿を描いてくれたかと思っています。
 ところで、では実際のアジアである中国では、例えば司馬遷「史記」では、一体このアジア的というのは、どこになるのだろうと思います。まさしく、「史記」で書かれている社会時代は、「アジア的」と言われるものなのでしょうね。
 でもヘーゲルーマルクスのいうアジアとはせいぜいインドまでなのですね。
 でもこの日本ではどうなのだと思うのですね。「吾妻鏡」で描かれている鎌倉幕府が、「玉葉」で書かれている鎌倉時代が、いわゆるアジア的のあとの封建制と言われるものなのかなあ、と思っています。関東御成敗式目がいわば、封建的法とすれば、律令がその前のアジア的なものなのだと言えるのだと思います。

 それでいつも、では「アフリカ的段階」と言われるのはどこなんだ、なんなんだと思ってしまうところです。
 ただ言えるのは、その昔のマルクス主義のいう歴史観では、もう理解外のことであろうと思うのです。マルクス主義のいう歴史観とはエンゲルスーレーニンの言うマルクス主義歴史観です。
 そして私には、いつもここで、島尾敏雄が浮かんできて、そして柳田国男を思い浮かべます。
 私は昔沖縄の太平洋岸の久志という村で、戦後始めて行われたハーリー祭りに参加していて、その舟の上で、そして祭りの最後に村あげての踊りの中で、「こういう姿が、いわゆる『アフリカ的』なものなのかなあ」なんてことを感じていたものです。

  「アフリカ的段階について」の3 に続く

 この画像は9月6日の午前9時44分です。長女の家には、二人の孫がもらいました5匹の金魚がいました。