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『「正直者がバカを見る」定期購読やめたら、日経本社から調査員が来た』に目森さんのコメント にその目森一喜さんが、次のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年09月10日 23:09
新聞を読まない人がニュースに触れないわけではないのです。テレビだけで十分という人も多いですが、色々なポータルサイトやミクシで配信しているニュースを読んでいる人も沢山います。それに、ブログで紹介されると、そのソースに飛んで、読んだりもします。新聞のブランドではなく、ニュース一本ごとの勝負になっているとも言えます。
広告の話をすると、大手新聞が部数を誤魔化している事から、広告主が訴訟を起こす動きまであって、大変な事になっています。
誤魔化し方が、5割だったり、ひどい新聞だと倍で、これは広告主が怒らない方がおかしいです。新聞ではこういう事は報じませんから、新聞の実際ではなく、幻影で話をするようになってしまうのはしかたないですね。

 うん、そういう人の存在は判るのですが、でもでも、私は実はそんなにはテレビは見ないのですね。よくテレビを見たのは昭和30年代かなあ。昭和42年に大学に入学してからは、テレビはほとんどみないというか、そもそもあの頃の下宿には、誰もテレビがなかったものね。私が1973(昭和48年)の11月の埼大のむつめ祭の統一テーマで「狂わせたいの」を提出してこれに決まったときに、「テレビの見すぎ」なんて言われたものでした(これは「女性なんとか」という人たちにビラで言われました。この女性たちには、私は文句が言いたくて、でもでも思えばいい関係が今はできたものです)。でもでも私のアパートにはテレビなんかなかったものでした。
 それでそのときからも、そもそもテレビにはあまり親しみを持っていなかったのですね。テレビが家にあるようになったのは、結婚してからです。
 その点、新聞はずっと読んできました。私は小学校4年から中学3年までは社宅が父の会社のすぐそば(というか同じところ)だったから、朝日新聞か毎日新聞のどちらかと日経新聞はずっと読んできていました。
 ただ、現在の新聞販売の実態は、他の目森さんの文章で読んだことがあり、納得は充分できます。でもでも、私にはそもそも新聞記者だったことが一番大切な記憶なのですよ。4年前の夏に、修善寺温泉に家族4人で行ったとき(長女は結婚していましたが、彼が仕事で参加できませんでした)、修善寺温泉で娘二人が温泉の中にあった弘法大師の像に水をかけているときに、私は自分が温泉新聞でその修善寺温泉に集金旅行に来ていたことをありありと思い出していたものでした。私はその自分が新聞記者だったことはまったく忘れられないことなのです。だから、いつも新聞を開いて、自分ならどう新聞作りをするのかなんてことを考えてしまうのですね。
 いや、その他のことでもいくらでも思い出してくることがあるのです。なんだか、懐かしくてたまらないことがいくつもあるのですね。

 もう私の家族は、今は全部で8人です(私の二人の娘夫婦と二人の孫)。今度の連休に次女ブルータスが遊びに来ないかというケータイメールが妻にありました(私は少々、なんで俺にはメールをくれないんだ、と不満です)。だからぜひ会いに行きたいです。きっとまた私は酔っていて眠っていると、「またパパは、しょうがないな」という声が聞こえることでしょう。私はそれがその声がいいのです。

 なんとなく、関係ないことを述べてしまいましたね。もうしわけありません。

 この写真は9月10日の午前7時18分の豊島公園です。