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 昨日夕方長女の家まで歩いていたときに、考えたことです。私は自転車で行ったのですが、このときはあまりに真剣に考えたので、自転車を降りて歩いていきました。
 私周は、はいわゆる書評・感想文といったものを私のホームページにもブログにもUPしています。「周の書評」(これは私のホームページ内に、実ににいっぱいありあます)も「周の雑読備忘録」(これも私のこのブログにいっぱいあります)もたくさんあるのですが、私はそういう内容ではなく、私が spider job  蜘蛛業 に書いていく「読書さとう」というページをオープンさせたいと思ったのです。それで、私は自転車を押しながら考えていました。私は以下のような本の私の感想を書いてみようと思ったのでした。

 1.これはもう2度と読むことはないだろう。
 2.こんな本を誰が読むのかなあ? 無駄じゃないかな。
 3.大昔に私は読んだことは良かったのかもしれないけれど、そのことの記録だけは書いておこう。

と思ったものを書こうと思ったのです。まずほかの人は読まないでしょう。
 たとえば、私は思うのですね。二葉亭四迷なんて、今誰が読むの? おそらく『浮雲』だけで、誰も忘れているんじゃないかな。だから、私は『小説総論』のことを書きます。これは「坪内逍遥『小説神髄』」より、実にまともだなあと私は思っています。
 それから、私には、まず第一に「ツルゲーネフ『猟人日記』」が浮かびました。もう誰も読まないよね。
 それで、次のような作品が私には浮かんだものなのです。

ツルゲーネフ『猟人日記』
ゴーゴリ『死せる魂』
プーシキン『偽のドミトリー』
フランソワ・ヴィヨンの詩
『サン・ヌーヴェル・ヌーヴェル』鈴木信太郎訳
二葉亭四迷『小説総論』
井原西鶴『男色大鏡』
『十六夜日記』

 それで、私は「では最初はフランソワ・ヴィヨンを書こう」と思ったのです。でもこれは、私がたしか高校生のときに購入した筑摩書房の「世界文学大系」の「中世文学集」を探さないとならないと思いました。私は昔はもっていましたが、今はもう古書店に売ってしまったものです。
 ところがところが、昨日私の部屋の外側の廊下にくくってある筑摩書房の「世界古典文学全集」の括っている中に、この本があったのです。もう驚きました。私が我孫子から引越しするときも、吉本(吉本隆明)さんの本とこの世界古典文学全集のみは、捨てないことにして、あとはすべて下北沢の古書店に売り払いました。でもでもなぜか、世界古典文学全集の中にこの本が入っていたのです。
 それで、私はフランソワ・ヴィヨンの詩を読み始めました。昔府中刑務所の中で読みましたから、本の外側には、「5004番萩原周二」と鉛筆書きしてあります。
 それで読んでいくうちに、やっぱりフランソワ・ヴィヨンはとんでもない、いわば無頼漢といえるでしょう。当初私が思い込んでいたように、それほどひどい酔いどれではありません。
 でも、フランソワ・ヴィヨンを読むうちに、私はさらに太宰治の『ヴィヨンの妻』も読み出しました。それでこのブログのサイドバーにある青空文庫でです。私はこれをすべて読みました。もう一度読みました。
 そして、私は涙を流していたのです。
 この小説の中の夫の大谷もなんというひどい男でしょう。フランソワ・ヴィヨンもひどいけれど、『ヴィヨンの妻』の夫もひどい男です。
 でもでも、こうして書いていける太宰治は実にすばらしいです。この作品は、私が上にあげた3点には、どこもあてはまっていません。
 だから、さらに私は「読書さとう」には書けないことになってしまいました。
 それで、でも書いていきます。「太宰治『ヴィヨンの妻』」は、私のこのブログで、「周の雑読備忘録」として、「フランソワ・ヴィヨンの詩」は、「読書さとう」で書いてまいります。(佐藤隆家)

 写真は11月21日の午前10時30分です。これも二人の孫の保育園から帰る路です。