10101211  imajoukさんのツイッターで、以下がありました。

imajouk    劉暁波氏のノーベル平和賞受賞について、こういう見方もある。「平和賞、受賞に日本は浮かれすぎ」 http://www3.diary.ne.jp/user/312071/ これが当たっているかどうかは判らないが、検証すべき見解ではある。 #seiji

 これで私はこの先の 中宮崇の 世相日記「些事争論」を読んでみました。これの「■2010/10/12 (火) 昨日の日記 純文を、子供に読ませる親は馬鹿」の中に次のようにありました。

つーか、芥川賞作品(特に最近の)は全部そんな感じだし、明治大正の古典だって、その手のものがほとんどである。
明確な障壁や葛藤が時代ごとに存在した欧米と違って、日本の純文学ってのは、主に個人的な心の葛藤ばかりを扱っており、言って見ればキチガイ向けの処方薬あるいはゴキブリメンヘル向けの覚醒剤であって…

というので、何を言っているのかなあ、という思いでしたが、次はなんだか私でもとんでもないという思いでした。

教科書に必ず載っている作品だって、たとえば鴎外の舞姫なんて、エリートのぼんぼんが留学先でろくに勉強もせずに奨学金打ち切られた挙句、現地の女を妊娠させて自分の出世のためにそれを捨てちゃうって話でしょ。漱石なんてクズニートだの甘やかされたどら息子とかの話ばかりだし、太宰なんていうまでも無いでしょ。例外は、悔しいことに、支那文学を下敷きにした芥川や中島敦などのごく一部だけでしょう。

 私は太宰治は全集を2度読んでいます。その他の漱石や鴎外、芥川龍之介、中島敦は9割読んでいるという感じです。村上春樹は、娘に勧められて、いくつか読んできました。
 私はこれに総反論しようと、そのあと長女の家まで歩いて(歩いて、私の足で20〜30分かかります)いるときに、その反論を考え上げ、でも鴎外『舞姫』だけは考えがまとまりませんでした。
 また改めて書くつもりですが、とにかく、これはとんでもないという思いで書いていくつもりです。
 そうですね、私の蜘蛛業の「読書さとう」でいくつかのこれらの作家の各作品への思いを書いていくつもりです。
 もはや総反論とも言えないものでしょうが、今後書いていくつもりです。
 あ、でもこの彼にこれでトラックバックしようと思いましたが、彼は「さるさる日記」にこれを書いているんだ。どうしようかなあ。あとでメールを送ればいいか。