10102609 これは何年も前に、ちょうどオウム真理教の事件のときに、パソコン通信の場で「刑事訴訟法」について解説をしたときの内容です。
 人は誰も、いつなんどき、法を犯したと疑われるときがあるのか判りませんので、そんなときの心得を持っていたほうがいいだろうということと、「法」を学んで行こうとするときには、この「刑事訴訟法」から入っていくのが、非常に面白くやっていけるのではないかと思ったからです。

 実は当初は、この6回のあとに、さらに「控訴」「上告」のことや、さらには「下獄」してしまう事態のことも書いて行く予定だったのですが、思えば、普通に生活している大部分の人は、せいぜいこの「保釈」まででいいのではないのか な、と思い直したことによります。
 私は学生時代は、当然学生活動家でありまして、2度逮捕され、その2度とも起訴されました(この100%起訴というのは珍しいことです。おそらく起訴されなければ、もっと逮捕歴が増えたでしょう)。
 それで、このような体験をすると、非常に「刑事訴訟法」に詳しくなるわけです。いや詳しくならないわけがないのです。なにしろ留置場や拘置所にいるわが身のことを、いったいどうしようとするのだ、俺のことは俺自身が決めていきたいのだということがありますから、もうそれこそ懸命に学ぼうとしていくわけです。

 逮捕され、留置場に入ると判るのですが、実は権力から不当な扱いを受けているのは、私たちのような学生活動家ではなく、窃盗犯とかヤクザと言われる人たちのほうがけっこうひどい扱いをされているのです。私は2度とも、「勾留理由開示裁判」をやりましたが、とくに2度目の朝霞留置場では、みなそのわけを聞いてきたものです。私は、これが学生活動家だからやる裁判ではなく、誰もが自分がどうして勾留されているのかという理由を、勾留を許している裁判官に聞く権利があるのだということを言いました。これは当然のことだということで、窃盗もヤクザも自民党選挙違反者もみな考え込んでいきます。
 そんなときの思いを、また前のオウム事件のときに思い出しました。オウムの活動家がいかに極悪犯であったとしても、彼らを逮捕し、勾留し、起訴していくのは、あくまで「刑事訴訟法」にもとずいてやるはずである、やるべきなのです。どうみても、あのときには、警察も司法も違法なことをやっていました。あれはオウムが極悪だからではなく、日本の警察の捜査力の衰え、司法権力の情けなさを示したものだと思います。法に厳然と従ってこそ、もっと早くあのオウムの犯罪は糾弾できたはずなのです。
 ではオウムではなく、私たち普通の市民にも、あのような不当な扱いが向かってきたときにどうするのかということの基礎的な知識はあったほうがいいだろうというのが、この私の文章です。

 法の文書はちゃんと書いておりますから、ひととおり読んでおくと、きっと役だつかと思います。「いや、私にはそんな目に会うわけがない」と思っている方も多いことでしょうが、そんなこと、「本当はわかりませんよ」。ぜひ読んでみてください。(2005.09.09)