10110109  戊辰戦争のときに官軍(とかいう)の敵になった庄内藩では、当然薩長は好かれるわけがないのですが、西郷隆盛だけは何故か違っています。いまも西郷を奉るお祭りがあると聴いています。それは西郷さんが庄内藩のために尽力したことにあるのですが、その他のところでも西郷さんは割りと人気があるといわれています。
 私が昔沖縄で働いていたときに、飯場があった村の祭りにでたことがあるのですが、あんなに憎いはずの「ヤマトンチュー」の薩摩人なのに、西郷さんの名前の出てくる歌が唄われたときには驚いたものです。多分徳之島・沖永良部島に流されていた西郷さんの話が島から島へでも伝わっていたのでしょうか。

 こうしたことが勝海舟が西郷さんを誉め讃えるところなのかもしれないと思うのです。海舟が西郷さんを誉めていることを、何が西郷は偉いのかというのをはっきりさせようとしたら、さっぱり海舟のいっていることはわかりません。結局西郷さんは芒洋としていて、なんだか大きく、そばにいるとただひきつけられてしまうということなのでしょうか。 大久保利通が近代日本、現代に至るまでかなりな大きな役割をはたしているのはよく判ると思います。だが、いまもその大久保の子孫は鹿児島ではなく東京に住んでいるのです。そして利通のお孫さんは、いまも大久保による西郷暗殺計画はなかったということの証明をしようとしているといいます。なんだか大久保というのは日本の歴史の中では可哀想だなと思ってしまいます。

 私は昭和三五年七月小学六年生のとき、名古屋から鹿児島市内へ引っ越ししました。私が入った小学校は山下小学校といって、西郷兄弟、大久保、大山巌、東郷平八郎等々が生まれ育った樋之口町が学区にある学校でした。職員室の廊下には、これらの人たちの肖像画や写真が掲げられていました。一番右から、島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛だったと思います。そうすると、肖像があってもいいのに、ない人がいますね。島津久光、桐野利秋、篠原国幹、村田新八等はないわけです。久光を斉彬と一緒に掲げるわけにはいかないのでしょうが、あとはみんな賊軍(嫌だな、この言い方)だからでしょうか。でもそうすると、西郷さんも賊なわけなのだが、西郷さんは特別なのでしょうか。
 この小学校で、朝礼の時などに校長が、「西郷隆盛は世界の偉人である」とかいうことをいうわけです。私は本当に驚きました。西郷なんて、私にとっては宮本武蔵とか豊臣秀吉とかいった人と同じように遥かに昔の人だと思っていましたから、「これは、なんという変なところへ来たものか」と思ったものです。今思えば、あの校長先生のお年だと、子どものときなんかには、実際に西郷さんと会ったことのある人の話を聴いたことがあるわけなのでしょう。だからその親しい感じの西郷さんが、実は世界に誇る偉人であるということを、繰返し言いたかったのだと思います。

 この西郷さんはかなりな詩人でもあります。いくつも書いています。私は「書懐」という詩が好きでしょうか(「書懐」という詩は二つあり、私は「書懐(後)」という詩が好きです)。その詩はまたの機会にして、今回は以下の詩を紹介します。

    弔亡友月照    西郷南洲
  相約投淵無後先 相約して渕に投ず後先無し
  豈圖波上再生縁 豈図らん波上再生の縁
  回頭十有餘年夢 頭を回せば十有余年の夢
  空隔幽明哭墓前 空しく幽明(註1)を隔てて墓前に哭す

  (註1)幽明 くらきとあかるき、あの世とこの世。

   互いに約を結んで御船カ崎へ相投じたのは全く後先なかった
    思いがけず自分だけが再生の縁があろうとは
    思い出せばそれも既に十幾年もの昔の夢のこととなった
    私はこの世にあり、ただあの月照を憶って空しく墓前で慟哭するばかりである

 西郷さんが、京都の清水寺成就院の僧、尊皇攘夷派の月照と錦江湾に身投げして、西郷さんだけが助かり、その十有余年のあと作ったとされる詩です。

 西郷は京都で活動し続けますが、井伊大老により、京都から月照を連れて故郷へ逃亡します。だが薩摩ももはや安住の地ではありません。絶望して、錦江湾に船を浮べて、月照と錦江湾に身を投じます。その船で最後をみとっていたのが平野国臣です。安政五年十一月のことです。
 西郷さんはどうしてか(多分体重があったから)、海に浮びあがり助けられます。船の上でどんなに死んでしまった月照のことを呼び続けたことでしょうか。そしていまその月照の墓の前で、西郷さんが泣いているわけです。

 私はこの詩を、六〇年安保闘争の全学連委員長唐牛健太郎さんのお墓の前で吟いました。函館に唐牛さんのお墓が作られた時です。唐牛さんも不思議な魅力に溢れた方でした。「全学連」とか「左翼」とか「共産主義者同盟(ブント)」とかいうものに関係なく、とにかくだれもがひきつけられるような人でした。  西郷さんも、「尊皇」とか「佐幕」とか関係なく不思議な魅力をたたえた人だったのでしょう。
 私はまた必ず唐牛さんの、あの津軽海峡が美しく見えるお墓の前で、この詩を吟いたいと思っています。(1998年10月に書きました文章です)。

 思い出せば、もう私はこの詩を何度も詩っています。みな私の友人の亡くなったときにお通夜や葬儀の場で吟ってきました。もう何度詩ってきたことでしょうか。これからも友人・先輩方のそうした場ではいつも吟っていきます。