10111208 ひさしぶりに麿赤兒さんの舞踏を拝見しました。

 麿さんは近頃舞踏をやりません。テレビや舞台の出演で忙しいらしいのです。ですからひさしぶりになります。前に長女のおはぎに「海印の馬」の公演を見せましたら、たいへんに喜んでくれまして、またぜひ見に行きたいとせがまれていました。
 ただ娘と行くと問題がありますね。当日多分終ってから麿さんを囲んで飲もうよということになるでしょうが、高校生の娘を連れて行けないよね。
 麿さんはとても優しいいい方なのですが、対外的には、飲んで目茶苦茶に騒いだり、悪さをしたりしてしまうので(シャイなんだろうな)、知らない人だと怖いときがあるでしょう。そんなとこへ娘を連れて行っていいのかな。
 でも私のことをいつも「周ちゃん、周ちゃん」と呼んでくれて可愛がってくれますので、必ず参加するようにしてきました。

 さて、以下のようなイベントのしらせを受けました。

        齋部哲夫彫刻展
      −大和の風水、木霊−
日時  1996月22日(土)〜7月17日(水)
      午前10時〜午後6時  毎週木曜日休館
展示観覧料  無料
主催  フジタヴァンテ
会場  フジタヴァンテ2F展示スペース
      渋谷区千駄ヶ谷4−6−15フジタ本社ビル内
電話  03−3796−2486

    *「大駱駝館(麿赤兒主宰」)の舞踏がこの彫刻展で演じられます。
      その日程(下の日の13時からと15時から)
      6月22(土)、23(日)、29(土)、30(日)
      7月6(土)、7(日)、13(土)、14(日)

 とくに21日(金)に麿さんが踊るということで、私は行ったものでした。
 フジタヴァンテにて午後6時からということなので、6時をまわったころ千駄ヶ谷駅から急いでいました、途中で全くの偶然に私のクライアントであり神田会の仲間でもある?AのK社長と出会いました。実は前の日神田会で飲んだばかりです。「麿さんの舞踏へ急いでる」というと、K社長は、「え、麿さんなら、俺もそっちがいいな」と行きたがっていましたが、大事な仕事先へ行くようで、会社の同僚から促され、私と別れました。
 フジタ工業の本社へ言って2階へ上がると、もう随分な人数がビールを飲んでいます。早速私も顔見知りを見つけて飲み始めます。
 Nさんというイベント屋さんと話し始めました。「どうです、パソコンは?」と話しだすと、彼はその話を避けたがります。私がいつも会うたびにパソコンを薦めていたら、やにはに、文字どおり、やにはに秋葉原でパソコンを買ってしまいました。だがだが、もう3カ月、まだ動いていないようです。言ってくれれば、すぐ自宅まで行くのになあ。
 そしてすぐまたTさんという絵書きの人が挨拶してきます。Nさんとも知合いです。彼はとても不可思儀な絵を書いています。どう説明したらいいでしょうか。しかし、もっとおかしいのは、彼は剣道の達人であり、日本刀で兜を断ち切る「兜割」の名手なのです。これで米国を公演して回ったこともあります。彼はいわば麿さんのボディガード役です。なんだか、彼は私のことが気にいったらしく、会うといつも仲よく飲んでいます。彼は私がやにわに詩吟をやったりすると、

   さすが左翼だ!

と変な感動の声を上げる人です。この人が私を気に入ったのは、最初会ったときに彼が15代将軍慶喜の写真を持っていて、

   いい男だね

と言った途端に、私が

   冗談じゃない、俺達はこの男の為にどれほど苦しめられたことか

と言って、水戸天狗党の話をしだしました。しつこくしつこく。天狗党は一橋慶喜を信じて、加賀藩に投降します。その結果が、敦賀での大虐殺です。そして維新がなったあと、水戸に窒居させられていた慶喜の前で、我が水戸天狗党と水戸諸生党の最後の血戦が行なわれます。そしてまたしても莫大な血が流されるのです。慶喜はなぜ、それを止めないのだ。こんな慶喜を私たちが許せるわけがないのです。そんなことで彼は妙に感心してくれたようです。
 ただ今回彼からいい話が聞けました。彼の奥さんも芸術家なのですが、以前なにかの絵の個展でお会いしたときに、私はいろいろと話しかけたらしいのでが、そこでパソコンの話をくどくしたらしいのです(実は私は何を話したか、全く覚えていない)。そうしましたら、その私の話にえらく感動したということで、どうしてか彼女もパソコンを購入して、やりはじめました。それがいまでは、それで誰かに個人教授をするようにもなり、そして今年の夏すぎには、彼女がパソコンで作成した美術の本までもが出版されるそうです。なんだか私も酔って話していてもいいこともやっているのだなと感激しました。彼に感謝ばかりされて、それこそなんだか嬉しかったものです。

 それから、あんまり酔わないうちに、「齋藤哲夫彫刻展」を見ておかなくてはと、一応みてみました。
 齋部哲夫さんのは大きな材木を使った彫刻展です。しかし、私はこういったものは実はさっぱり判りません。普通なら、誰も相手にしないような造形物です。
 そのうちいろいろな顔見知りと挨拶したり、近況を伝え合う中、午後7時になって麿さんの舞踏が始まりました。場所が齋部さんの造形の中を使ってです。
「フジタヴァンテ2F展示スペース」というのは、おおきなふきぬけになっており、回廊のような大きな四角の中を、麿さんが走り舞います。
 いやひさしぶりの麿さんの踊りです。15分間の踊りなのですが、私にはそれが1時間もの長さに感じられました。なんだか久し振りなこともあって、私は涙が出そうになりました。そして私の長女のおはぎにすまないなとあやまりたくなりました。おはぎは、とても麿さんの踊りが見たいので、いつも連れ行ってと言われているのです。ところがこのごろ麿さんの大駱駝館の公演がなく、娘も残念がっていたので、今回はいい機会だったのです。それで娘も愉しみにしていたのですが、私は19、20日と連続の飲み会で、帰宅が深夜であり、娘と打ち合わせする時間が取れませんでした。案内書をコピーまではしていたのですが、渡すチャンスがなかった。ごめんなさい。
 でもこの麿さんの踊りで、私にはそこにある齋部さんの造形が何か判ってきた気持になってきました。麿さんの踊りは、このいくつもの造形物と交わっているのかもしれません。木とSEXすることにより、その木が生きて私たちに迫ってくるような感じにとらわれました。木の香がしますし、なんとある造形物からは玉虫が成虫となって出てきたのです。麿さんの踊りと、音楽を奏でてくれる方が木々にもたらした何かなのかもしれません。

 さてそれで、またしばらく歓談したあと、打ち上げの宴会です。
 私はまたMさんという神田会の仲間と上のN、T氏と飲み始めました。だんだん人が集まってきて、いろいろと顔見知りに挨拶されます。随分飲むうちに、いつものことですが、麿さんが

   では詩吟の歌手を紹介します

ということで、他の客の迷惑も構わず吟いだします。私の声をきいて、「あ、なんだいつもの人だ」と判断できた方もいるようです。
 けっこう飲んで話して、でもいくらなんでも3日酔い目なので、「つぎAに行こう」という誘いにのらず(Aという新宿の飲み屋は大声で詠えないよ)、と帰路に着きました。
 最後に麿さんに

  私の娘が麿さんに舞踏が見たいと言っているのでぜひやってくださいよ

と言うと、麿さんは頭をかきながら、

     うん、舞踏ね、弱ったな

と言っていました、もう麿さんは映画や舞台やテレビで忙しく、大駱駝館としての舞踏公演はなかなかしんどいようなのです。でもやってくれるでしょう。

 でも思いました、フジタ工業というのは、建設業者でありゼネコンであり、地上げ屋だなんて言われたこともあるでしょうが、あのような美術の展示ができるなんて、実に立派なことです。あんな、一見何にもならないような造形物の展示をしてくれるなんていいことです。たとえば、東京都をはじめとする各自治体がやった海外美術品集めなどよりも、数段いいことをやっています。あのような企業が市井の美術家を育て上げられるのです。フジタ工業の方の挨拶で、

 私は齋部さんの造形はなんだか、さっぱり判りません。さらにいうと、麿さんの踊りも判りません。でも、こうして大勢の方が集まられ、踊りの中で木々の香を感じて、玉虫を見たときに、これはいいことをやったのだなと確信できました。

というようなことを言われました。まったく私も同感です(本当に玉虫が出てきて飛んだのです)。私もフジタ工業のことをあちこちで貶したこともありましたが、いややっぱりいいことをやるじゃないのと感激したところです。(1996.06.22)