2016112114

10111617  菅原道真の詩を見てみたく思います。江戸時代以前の漢詩人としては、日本一といえるかと思います。御存知のように彼は、藤原時平との政争に敗れて筑紫の太宰府に流されました。

  宇多天皇は道真をたて、醍醐天皇に位を譲られ、上皇となってからも、藤原氏対策に道真を重く用いようとしました。時の左大臣藤原時平(道真は右大臣)は、道真の失脚を画策し、ついに道真は醍醐天皇を廃しようとしているとの讒言により、太宰府に流されることになりました。
  このときに都を離れるときの歌が、

  こちふかばにほひおこせよ梅の花
    あるじなしとて春な忘れそ

の歌です。その太宰府で、延喜元年(九〇一年)の九月十日に、ちょうど一年前醍醐天皇から恩賜の御衣を賜わったことを思い出し、作ったのが以下の詩です。

    九月十日(重陽後一日)(註1)  菅原道眞
  去年今夜待清涼  去年の今夜清涼(註2)に待す
 秋思詩編獨斷腸  秋思の詩編(註3)独り(註4)断腸
 恩賜御衣今在此  恩賜の御衣今此に在り
 捧持毎日拜餘香  捧持して毎日余香を拝す

  (註1)九月九日は重陽の節句。その後朝の宴がこの九月十日。
  (註2)清涼(せいりょう)  清涼殿。天皇が常に在す宮殿。
 (註3)秋思詩編  「秋思」という勅題の詩。
  (註4)独り  他の諸臣も詩を作ったのであるが、ひとり自分だけが。

  思えば昨年の今夜、重陽後の宴に召され、清涼殿で陛下のおそばに侍べっていた
  秋思の題を賜り、諸臣それぞれ詩を作ったが、ひとり自分の詩だけが悲しみに満ちたものになってしまった。
  しかるに、陛下は大層おほめになり、御手みずから御衣をぬいで賜った。
  それをいまも大切に持参している。
  毎日その御衣を捧げては、その移り香を拝しているのである。

  冤罪にてこうして太宰府に流されているのに、少しも君を怨むことがありません。

  広瀬武夫が「正気歌」にて
 
  或爲菅家筑紫月  或は菅家筑紫の月と為り
  詞存忠愛不知冤  詞忠愛を存して冤を知らず

と詩ったのは、こうした道真の心だと思います。またこうした道真だからこそ、現在でも日本人には人気があるのだと思います。
  もっとも、死後時平を怨んで平安京を恐怖に陥れるような気候をおこしたり、平将門に新皇という名を与えたという存在でもあるわけなのですが。

  つぎに、この「九月十日」の詩の中にある「秋思」の勅題に応じた詩です。

      秋思詩          菅原道眞
  丞相度年幾樂思  丞相(註5)年を度りて幾たびか楽思(註6)す
  今宵觸物自然悲  今宵物に触れて自然に悲し
  聲寒絡緯風吹處  声は寒し絡緯(註7)風吹くの処
  葉落梧桐雨打時  葉は落つ梧桐(註8)雨打の時
  君富春秋臣漸老  君(註9)は春秋に富ませたまい臣漸く老ゆ
  恩無涯岸報猶遲  恩は涯岸無く報ゆること猶お遅し
  不知此意何安慰  知らず此意何の安慰ぞ
  酌酒聽琴又詠詩  酒を酌み琴を聴き又詩を詠ず

  (註5)丞相  大臣。
  (註6)幾樂思  心から楽しむ機会が何回あったろうか。
  (註7)絡緯(らくい)  くつわむし。
  (註8)梧桐(ごどう)  あおぎり。白居易「長恨歌」からとっている。道真に限らず、この時代の詩人たちには白居易の影響が強い。
   (註9)君  醍醐天皇。

  長い間右大臣の職にあったが、責任の重さで心から楽しむことがあったろうか。
  今夜も御宴に列しながら、何か目に見、耳に聞くものが、自然に物悲しい。
  秋風の吹くあたり、くつわむしの鳴く声も寒げであり、
  雨に打たれて落ちる青桐の葉にも秋を感じる。
  陛下はお年も若くおわしますが、私はすでに年老いてしまった。
  君恩の限りなく大きいことを思えば、いつ御恩を報いことができるだろうか。
  この気持をどう慰めたものだろうか、
  せめて白楽天に習って、酒を飲み、琴を聞き、詩を詠じてお相手をしたいと思う。

 道真は、自分を陥れようとする動きのあることを知っていました。それが「九月十日」でいう「独断腸」という内容のこの詩だったのでしょう。本来なら、道真が政治的には絶頂期にある時でありながら、何故か悲しい詩です。

  私が詩吟をもともとの宗家荒國誠先生に習ったときに、たしか最初に教わったのがこの「九月十日」でした。大変に吟うのが難しい詩で、本当に苦労しました。何度も何度も先生に直されました。とうとう先生にはさじを投げられたかと思います。「秋思詩」も荒先生に習いましたが、これもまた大変でした。

    君はいつも、そんなに喧嘩ばかりしているような謡い方じゃ駄目だ。

とよく言われました。それを先生は、たくさんの例を上げて(例えばボクシングのこととか)で説明してくれました。でもとうとう私は吟えなかったものです。当時の私では無理に決まっているのです。
  そのころから、いつかはこの道真の詩をうまく謡えるようになれるものかななんて思っていました。そしてこのごろは、どうにかいくらかは吟えるかなと思えるようにやっとなってきたところです。(これは2000年の頃書いたものです)。