曹操の「短歌行」がなんと言っても一番知られているわけですが、曹丕にも同じ題名の詩があります。

  短歌行   曹丕
  仰瞻帷幕  仰いで帷幕を瞻(み)
  俯察几筵  俯して几筵(きえん)を察(み)る
  其物如故  其の物故の如く
  其人不存  其の人存せず
  神靈倏忽  神霊倏忽(しゅくこつ)として
  弃我遐遷  我を弃(す)てて遐遷(かせん)す
  瞻靡恃靡  瞻(み)る靡(な)く恃(たのむ)靡く
  泣涕連連  泣涕(きゅうてい)連連たり
  幼幼遊鹿  幼幼として鹿遊び
  銜草鳴麑  草を銜(ふく)み麑(げい)鳴く
  翩翩飛鳥  翩翩たる飛鳥
  挾子巣棲  子を挟(さしはさん)で巣棲(そうせい)す
  我獨孤煢  我独り孤煢(註1)
  懷此百離  此の百離を懐う
  憂心孔疚  憂心はなはだ疚(や)ましく
  莫我能知  我を能く知るもの莫(な)し
  人亦有言  人も亦言える有り
  憂令人老  憂え人をして老いしむと
  嗟我白髮  嗟(ああ)我が白髮
  生一何蚤  生ずること一(まこと)に何ぞ蚤(はや)き
  長吟永歎  長吟永歎し
  懷我聖考  我が聖考を懐う
  曰仁者壽  仁者寿なりと曰うも
  胡不是保  胡(なん)ぞ是れ保せさる

10120606 (註1)孤煢  こけい。曹丕には何人も兄弟がいたが、いわば仲が悪かったから、このように言ったのではと思う

  頭をあげてたれ幕をみる
  頭をさげては机や敷物を見る
  父のものはそのままで変わりないが
  だけど父はもう存在していない
  父の霊魂はもうたちまち
  私をすてていってしまった
  今はもう父を見ること出来ず頼むことも出来ない
  ただ泣いて涙が絶えない
  ようようとないて遊ぶ鹿は
  草を口に含んで子の為にないている
  ひらひらと飛ぶ鳥は
  樹木の枝に巣を作り雛を抱いて育てている
  それなのに私は孤独だ
  こんなに寂しい訣ればかりを悲しんでいる
  こうしたことを思うといたくつらくなり
  だがこの私の心を誰もしらない
  昔の人がいっている
  「憂いの気持が人を老えさせる」と
  ああ、私の頭がどうして白髪になるのだ
  声を長く詠い
  聖徳をもった我が父を思えば
  「仁者は長く生きる」と「論語」ではいうが
  どうして我が父はこのとおりにならなかったのだろうか

 この詩は建安25年(220年)正月に洛陽で曹操が亡くなったときに、次を継いだ曹丕が作った詩です。曹操は66歳で亡くなりました。曹丕はこのとき34歳でした。「どうして、こんな早く俺を置いていくのだ」という曹丕の父への愛情を感じてしまいます。
 このあと、同じ年の10月に、曹丕は漢の献帝の禅譲により、正式に帝位につき魏の文帝となります。
 おそらく曹丕は、父曹操の死を悲しむあまりもあったでしょうが、父の「短歌行」も念頭にあったはずです。父の詩は万年に残るだろうが、私だって、その父を憶う詩をこそこうして父と同じ題名で作るのだという思いがあったのではないでしょうか。
 曹操が偉大な存在であったからこそ、曹丕も懸命に努力するわけです。だが、どうして俺がまだまだこれからというときに、あなたは私から去っていってしまうのだという曹丕の気持が私に切々と伝わってきます。
 私は曹操の「短歌行」がおそらく漢詩の中では一番好きですが、この曹丕の「短歌行」も父曹操を思う心を深く感じまして、好きになってしまうのです。(1996.11.02)

 あるとき、自分の父が亡くなり、その一周忌の法要のときに、この詩を書いた私の文章を捧げたいという希望が、その娘さんからありました。私は快く了解しました。きっとその葬儀会場では、彼女の父を思う気持が、曹丕の父曹操を思うこの詩を掲げてくれたことで、よく分かったのではないかと私は思ったものです。(2010.12.07)