10120802  曹操が官渡の戦いで袁紹をやぶり、そののち袁紹の甥高幹を討伐する途中、厳冬の太行山を越えるときの行軍の苦難を歌った詩があります。これは建安一一(西暦二〇六)年のことです。

   苦寒行    曹操
 北上太行山  北のかた太行山(註1)に上れば
 艱哉何巍巍 艱き哉何ぞ巍巍たる
 羊腸坂詰屈 羊腸の坂(註2)詰屈し
 車輪爲之摧 車輪之れが為に摧く
 樹木何蕭瑟 樹木何ぞ蕭瑟たる
 北風聲正悲 北風声正に悲し
 熊羆對我蹲 熊羆我に対して蹲まり
 虎豹夾路啼 虎豹は路を夾んで啼く
 谿谷少人民 渓谷人民少なく
 雪落何霏霏 雪落つること何ぞ霏霏たる
 延頚長嘆息 頚を延ばして長嘆息し
 遠行多所懷 遠行して懐う所多し
 我心何怫欝 我が心何ぞ怫欝たる
 思欲一東歸 一たび東帰(註3)せん思欲す
 水深橋梁絶 水深くして橋梁絶え
 中路正徘徊 中路正に徘徊す
 迷惑失故路 迷惑(註4)して故路を失い
 薄暮宿棲無 薄暮宿棲無し
 行行日已遠 行き行きて日已に遠く
 人馬同時飢 人馬時を同じくして飢う
 擔嚢行取薪 嚢を担い行きて薪を取り
 斧冰持作粥 氷を斧りて持て粥を作る
 悲彼東山詩 彼の東山の詩(註5)を悲しみ
 悠悠令我哀 悠悠として我れを哀しましむ

 (註1)太行山 山西省を中心に河北から河南にかけてそびえ立つ山脈。
 (註2)羊腸坂 高幹の占拠する壷関口(山西省長治県)の東南にある坂。
 (註3)東帰  曹操の本拠は太行山の東にある。
 (註4)迷惑 道に迷うこと。
 (註5)東山詩 「詩経」の中の詩篇。周公の3年にわたる東征の後、帰還した兵士の労苦と喜びをうたった歌。ここでは曹操が周公にならって、遠征の成功を祈念したもの。

 北のかた太行山を越えようとすれば、
 道はかなり険しく、山は高く聳えている。
 羊腸の坂は曲がりくねって、
 ために車輪は砕けてしまう。
 樹木は寂しげに立っており、
 北風は悲しく吹きつける。
 熊や羆が我らをみて蹲(うずく)まり、
 虎や豹が道の両側から吠えかかる。
 谷間には住む人も少なく、
 雪はしんしんと降り頻る。
 首をのばしては遠くを眺めれば、思わずため息がでる。
 遠征する身となれば、なおさら思いはます。
 心に言い知れぬ不安があふれ、
 いっそ一旦東にひきかえそうかと思う。
 川の水が深いのに、橋もなく、
 途中あちこち道をさがしまわった。
 迷ったあげく、もと来た道も見失い、
 夕暮れになっても、泊まるべき宿もない。
 行軍してすでに何日もたち、
 人も馬も共に飢えてしまった
 袋をかついで行って、薪を拾い、
 氷をたちわって粥を炊いている。
 あの周公の「東山」の労苦の詩を思い出せば、
 心にいっそうの深い悲しみがひろがってくる。

 吉川英治「三国志」でもこの袁紹残党の遠征のところは印象が深いのです。よくまあここまできたなという感慨が伝わってきます。この詩の次の年には完全にこの遠征は勝利で終ります。これにより、この地域の民を永年に渡る異民族の支配から解放しました。これは曹操の軍事上の功績の一つです。

 この詩を最初読んだときは、なにも元気にもなりません。いったい何を辛いことばかり詩っているのだろうと思いました。兵士たちをさっそうと指揮している曹操ではなく、兵士と一緒になって寒さと慣れない土地のため苦労している曹操の姿が浮んできます。これがいいのですね。いったいこのような詩を英雄といわれるような人が詩えるものではありません。
 同じ「三国志」における諸葛孔明の南方遠征では、ただただ神のような天才軍師の華々しい活躍をみるだけです。「擔嚢行取薪 斧冰持作粥」というような孔明の姿を想像することはできません。ここが曹操の曹操たるところです。淡々と遠征のつらさを書いているようですが、私には曹操がちょっと得意になっているようにも思えてきます。
「おい、いったいこんなことを詩にできた英雄なんて俺だけじゃないか」なんて言っているようにも思えてきます。
 私も何度も何度も読み返してきました。そして曹操のその気持が伝わってくる気がします。実に見事だな、さすが曹操だなと思うところしきりです。(1995.11.01)