10121204 私が大学生になって熱心に読んだ漫画といいますと、やはり「あしたのジョー」でしょうか。これは「少年マガジン」に連載されていました。
 ところで、同じ「少年マガジン」には、「巨人の星」も連載されていまして、この二つが、なんと言っても人気があったかと思います。

 「巨人の星」 作・梶原一騎 漫画・川崎のぼる(1965年連載開始)
 「あしたのジョー」作・高森朝雄 漫画・ちばてつや(1967年連載開始)

 ちょうど65年といえば、日韓闘争のときであり、67年は私が埼玉大学に入学した年です。
 私は学生活動家でしたから、夜活動を終えたあとの定食屋(なんと、朝4時までやっていた店があり、また朝5時半から開店する定食屋もあった)で、よく漫画を読んでいたものでした。こんな店でどうしてか、敵対党派の民青諸君と会ったりするんですが、店ではまず喧嘩はしなかったものです。ただただ、誰も彼も活動家はみんなみんな漫画雑誌を読んでいました。民青諸君も同じでした。
 それで、当然三派系の活動家は「あしたのジョー」が好きなわけです。好きなどころか、みんな入れ込んでいましたね。私になぜマルクス主義がいいのかということを執拗に話し、民青や権力には憎まれきっていたある活動家が、どうしてかこの定食屋で黙って必死に「少年マガジン」に読み耽けっている姿なんか、思い出せば不思議なものでした。それが昼になると、突如アジテーションしたり、「反デューイング論」(エンゲルスの著作で理工系の活動家はよくこの論を持ち出したな)の話なんかするわけです。
 でもでも、あるときに、

  高森朝雄って、梶原一騎らしいぜ

と私が言い出したら、みんな最初は馬鹿にしました。そんな訳があるわけないじゃないかというのですね。でも二人の住所は一緒なのだ、なんてことをいうと、だんだんみんな怒りだしたものです。ジョーが「巨人の星」と同じでは、みんな困ってしまうのです。

  われわれは、明日のジョーである

と宣言して赤軍派の田宮高麿は北朝鮮へ飛び立ちました。きっと自分達の力で地球を回してやろうという思いだったのでしょう。でも田宮高麿は「あしたのジョー」の作者が梶原一騎だって知っていたのでしょうか。
 でもでも、私が実に1997年3月14日に知ったのですが、この「あしたのジョー」こそ、梶原一騎を殺してしまった(言い方が悪いけれど)存在だったのですね。このことは以下の本を読んで知りました。そして私は、私が学生のとき考えていた思いが正しかったのだと知ったものでした。

書名  夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎
著者  斎藤貴男
出版社 新潮社
1995年1月30日発行
定価 1,800円

 梶原一騎の思惑とは違って、力石はとてつもない人気が出てしまうし、その力石を殺してしまったジョーは、とんでもなく落ち込んでしまう。そのジョーを救うのは、白石葉子が南米から連れてくるカーロスでした。ジョーは彼の目に中に、自分と同じものを見て、また蘇ります。でもでも、これはもう梶原一騎の描いた原作にはないのですね。
 私は白石葉子ではなく、ドヤ街の乾物屋の紀子が好きでした。彼女とジョーが一緒になって欲しかった。そのころ私は言い続けていたものです。でもジョーは「乾物屋のジョー」にはなれないのですね。
 実はこの紀子は梶原一騎の原作にはなかったそうです、ちばてつやが作ってしまった人物なのですね。そしてちばてつやも本当はジョーと紀子を結婚させたかったのだが、そうもいかないので、二人をたった一度だけデートさせます。二人が食事して(しかもなんだか豪華な食事風景じゃないんだな)、そのあと川(たぶんドブ川だろうけれど)を見ているシーンが心に残ります。ジョーのことが心から好きだった紀子は、思いきって言うのです。

  矢吹くん……もう、ボクシングやめたら?

といいます。ジョーはボクシングへの思いを喋ります。

  紀ちゃんのいう、青春を謳歌するってこととちょっとちがうかもしれな
 いが───燃えているような充実感は、いまでもなんどもあじわってきた
 よ……。血だらけのリング上でな。
  そこいらのれんじゅうみたいに、ブスブスとくすぶりながら不完全燃焼
 していうんじゃない。ほんのしゅんかんにせよ、まぶしいほどまっかに燃
 え上がるんだ。
  そして、あとにはまっ白な灰だけがのこる……。もえかすなんかのこり
 やしない……。まっ白な灰だけだ。
  ───わかるかい、紀ちゃん。負い目や義理だけで、拳闘をやっている
 わけじゃない。拳闘がすきなんだ。死にものぐるいでかみあいっこする充
 実感が、わりと、おれ、すきなんだ。

 だが、紀子はそれに対して

  わたし、ついていけそうもない……

と最後にいい、走り去ります。私はその漫画の紀子に向かって「馬鹿やろう、バカヤロウ!」と叫んでいたものでした。ただ、この二人のデートでのジョーの言うことが、「あしたのジョー」の最後のシーンになるわけです。
 最後のシーンの案は20いつくあったといいます。もうこれは梶原一騎の思惑を離れているのですね。そして、ちばてつやのあるアシスタントが提案したのが、紀子とのデートシーンのジョーのせりふだったようです。これで「あしたのジョー」の最後は決まりました。
 相手は紀子ではなく葉子なのですが、彼女にジョーはグローブを渡します。

  あんたに……もらってほしいんだ……

そして、ジョーはリングで燃え尽きてしまいます。ただ微笑をたたえています。もう白いもえかすだけになってしまったのでしょうか。それはもう判りません。

 なんだかこうして書いていると、いろいろなことを思い出します。
 昔、「あしたのジョー」がアニメ映画になったときに、こんなことがありました。
 私は船橋から東武線で柏に向かっていました。疲れていて、眠ってしまったのですが、小さな女の子に起こされました。彼女は私の席の前にしゃがんで、私の顔を見つめてこう言ったのです。

  力石さん、死んじゃったのよ

 彼女の目には涙がありました。私は一瞬訳が分かりませんでした。もう一人の女の子がそばにきました。

  そう、力石さん、死んじゃったの

というのです。二人は姉妹のようです。私ははっと気付いて、

  でも、ジョーは生きているだろう。ジョーが力石の分まで頑張って生き
 て闘うんだよ

といいました。そして二人と「あしたのジョー」のお話になりました。私はそのときはまだアニメ映画を見てはいませんでしたが、どうやら二人の話に合わせることができました。なんだか悲しい映画だったという二人に、私はそれでもジョーはまだまだ元気にやっていくんだよと話し続けました。たしか六実の駅あたりで、二人は私に「バイバイ」と手を振って電車を降りていきました。
 あの出来事は何だったんだろうなんて思います。あの子たちは、もう何才になったかな。そしてその後のジョーのことも知ったでしょうか。

 やはり、私たちの年代にとっては、少しは書いておきたい「あしたのジョー」です。(2002.08.05)