2017050202 きょうの朝、私の友人から電話がありました。共通の友人が亡くなったことを教えてくれました。朝刊にも載っているということで、早速毎日新聞を開いてみました。

 13   02/28 20:45 <死去>彦由常宏氏=テレビプロデューサー、オフィスボウ社長彦由常宏氏(ひこよし・つねひろ=テレビプロデューサー、オフィスボウ社長)28日午前2時半、下いん頭がんのため東京都練馬区石神井台4の1の2の608の自宅で死去、52歳。葬儀・告別式は6日午前11時半、同区石神井台4の9の26の智福寺会館で。喪主は妻真木(まき)さん。テレビドラマ「新聞が死んだ日」などをプロデュースした。テレビ朝日の朝のワイドショーのキャスターも務めた。

私が最初に出た言葉は、「そんな……」でした。「早すぎる、早すぎるよ」という思いが頭を駆け巡りました。
彦由さんはとにかく剣道ひとすじの方でした。ある小説の中で剣道道場の館長として描かれている方でした。ちょうど2年半くらい前に私の先輩の小野田襄二さんのお母さんが亡くなられたときに、告別式でずっとご一緒したのが最後でした。随分長い時間一緒に酒を飲みました。彦由さんは、剣道の話と柔道の話ばかりしてくれていました。私のことを「お前は変わりすぎているよ」といって、笑ってくれていたものです。
剣道のことばかり話している方でしたが、中東で何かあると、出かけて行ってアラファトともカダフィとも差しで話し合える方でした。砂漠の中のテントで取材したものだと言っていました。
私が彦由さんに最初にお会いしたのは、私の学生運動の先輩の結婚式でした。どうみても顔つき、服装が右翼という方がいました。なんで左翼の集まりに右翼がいるのだろうなんて思いましたが、彦由さんだと分かりまして、「あれが有名な彦由さんか」と珍しいものを見るように見つめていたものです。
それから何度かお会いする機会がありまして、いつも酒の席で、私にいろいろな意見をいただきました。なんだか、私なんかのことをよくまあ可愛がってくれたなという思いがあります。私が、「揚子江でウィンドサーフィン大会をやろう」という企画を立てたときに、赤坂の私の会社に来て、丁寧にアドバイスをくれたものです。
彼が独立して会社をやったときに、私は挨拶に行き、さらにある頼み事をしに行ったことがあります。テレビの仕事で忙しい彼は、朝8時の会見を用意してくれました。そこで驚いたのは、彼は朝8時から冷や酒を飲んでいたことです。
お酒を飲むと、ただひたすら冷や酒を延々と飲んでいました。そして特徴は、お店のことを気にして、つまみは頼むのですが、一切何も口に入れることなく、ただただお酒を口にしていました。
彦さんが(私たちは彦さん、彦さんと呼んでいました)、テレ朝のワイドショーのキャスターをやっていたときには、どうしても彦さんのことが心配で心配で見ていたものでした。
彦さんは早稲田大学の活動家でした。早稲田の社青同解放派の方はなぜか剣道をやる人が多いのですが(大口昭彦さんが典型的な剣道をこよなく愛する人です)、彦さんは革共同中核派でした。早稲田では中核派は少数派ですから、運動をやるのはかなり大変な苦労があったことだと推測します。でもどこからみても、マルクス主義者には見えない方でしたね。
最後お別れしたときの彦さんの背中を思い出します。早すぎるよ、早すぎるよ、もっともっとお話がしたかったなと思います。
きっとお通夜には、たくさんの懐かしい顔にお目に掛かることができるでしょう。そして、みんなで思い切り泣くことでしょうね。
合掌します。(1997.03.01)

これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。