10121611 昨日夜12時近く、電車にのって帰宅していましたら、21、2歳位の3人の女性の会話が聞こえてきました。どうやら3人は、どこかの居酒屋のアルバイトをやっているようです。小さな声でしたし、私はちょうど「周の吉本隆明語彙集Ver2.0」をベージプリンタで印刷したばかりで、それを読んでいたのですが、どうしてか聞こえてきたのです。どうやら、嫌な客の話のようです。

 「結局店長が一番大変なのよね」
 「でも、ああゆう客は頭にくるね」
 「そういう客には、こっそり、ツメのアカとかはなくそとかつばとか入れ
 てだしちゃうのよ」
 「え、なに、それ」
 「いや、ある漫画に描いてあったの」

 そこで私は、「あ、それ、桐島いつみじゃないの」と思った次第なのです。
 この「まっかな人間像」という漫画は、毎回登場人物が違います。さまざまな人間のいきざまが描かれています。はじめのころは、なんでこんな風に人生を見ているのかな、多分若い作家なのだろうに、どうしてこうまで見てしまうのだろう、と思っていたものですが、だんだん読んでくるにしたがって、いや、若い世代にこうした人生を見せていってもいいのではないかなと思うようになりました。

書名    まっかな人間像その9/ウェイトレス
著者    桐島いつみ
発行所  集英社「ぶーけ」1993年10月号
定価    「ぶーけ」の価格は400円

 この号での「ウェイトレス」は、若い女の子がファミリーレストランのウェイトレスとして、嫌な客とのふれ合いを克服していく様が書かれています。なんだ、こんなことあるわけないじゃないか、と最初に思い、さらになんでまたこんなウェイトレスの姿を描くのかななどと思いました。ところが、昨日の夜の若い女性たちの会話を聞いた瞬間に、いやそうじゃないな、桐島いつみはけっこう人間を深くとらえているのかもしれないなと考えてしまいました。そう思ったのには、もう一つのことを急に思い出したからです。
 私の父が昔話してくれたことですが、父が昔戦争のときにスマトラ島へいたときに、同僚である将校の従卒が、このウェイトレスと同じようなことを将校に対してやっていたとの話でした。人間が自からの相手への不満を晴らす方法は、昭和19年での戦争の中でも、今の時代でも同じなのでしょうか。 こうしたことを思い浮かべさせてくれたもので、私はまたこの桐島いつみの漫画を読み返してしまいました。この漫画には、「日本一のスーパー・リアル・ギャグ!!」というタイトルがついています。そうしたさまざまな人生を描いたとしても、少し笑えるところもありますが、少しまたうすら寒くなってきます。これをまた若い少女たちが読んでいるのですね。
 ただ、この「ウェイトレス」で描いている姿は、私はやはり違うように思います。違うというのは、人間はもしどうしても自分が許したくない相手がでてきたら、それに対して、相手が判らないところ復讐するのではなく、明確に相手に判る形でやるのがあたりまえではないのかと思うからです。「言論には言論で、暴力には暴力で」対決していくのが原則であり、そうした姿が人間であると思っています。
 私は学生運動の時にも、労働運動の時にも、必ず相手が判る形で対峙してきました。また仕事上のあまりな無理をいうお客さんの場合にも、必ず相手に対して判る形で論議してきたかと思います。それが人間の生き方だと思うからです。
 ただしこれは、作者の桐島いつみへの異議ではありません。こうした思いを抱かせてくれた彼女の作品を高く評価するものです。(1994.05.01)