2017011621

10122208  私はよく夢を見ます。あるときに、次のような夢をみました。

  何故か私は高校で教壇に立っています。なんの授業だか判らないが、中世キリスト教の話をしています。2人ばかり元気が生徒が盛んに意見を述べてきます。
  現代でも私たちがかなり強く興味をもっていることですが、人が死んでしまったあと、いったいどうなると中世のキリスト教では考えたのかというようなことです。極楽、錬獄、地獄などということをどのように彼等は考えていたのかなんて話をします。でも実をいえば、私はそこらのことはまだよく知らないのだなという思いがあります。たぶんその話した内容は『エックハルト説教集』で書かれている内容だったかと思います。

  私たちは、どうしてかこの世に生まれてきてしまい、そしてまたいつか死ななければならない。それをどう考えるべきなのか、どう考えようと、過去の宗教家たちは言っているのか、というようなことを話し合います。
  だんだん中世ヨーロッパの話から離れていきます。私は日本の宗教家は何だといっているのかというような話をします。禅宗でいう考えをいくつも箇条書きにしました。また中世の浄土門の僧侶たちの言ったことをまた書いていきます。そして浄土宗の法然の言うことから、やはり親鸞に触れます。

    晩年になっていた親鸞は、「おのおのの計らいにまかせよ」といった。
  多分死とかいうことにも同じことではないのか。念仏をひとこと述べる
 ことにより、阿弥陀如来がその人に訪れるだろう。ただそれだけでいい
 のだ。愚者として、ただ阿弥陀如来にすがること、いやもっと言えば別
 にすがらなくたっていいのだといっているのだ。これがおそらくは、中
 世キリスト教の教えより、あるいは現在の「生」と「死」に関する論議
 の中よりも最も進んでいる考えではないのか。

というようなことを喋ります。ある生徒が述べます。

    こうして過去の宗教家なりが述べたことを考えたとて、まだ現代のほ
 うが科学も進歩しているわけで、こうした「死」をどう考えるのかとい
 うのも、まだ現在のほうが進歩しているのではないのか。

  それから、ひとしきり、それならこうした過去の宗教家と現代人が対話できればさらにはっきりするだろうにというような話になります。しかし仮定の問題として、過去の人間と私たちが対話できるものなのだろうかということがまた論議になります。私は、私たちの側が過去の時代になかった事実とか、科学上のこととかを出して話していかなければ、充分対話できていくのではないのかというように言いました。そうしたときに、やはり親鸞は今も未来にも生きていける考え方ではないのかと話しました。

  E・H・カーの「歴史とは過去と未来の対話である」などという言葉をひいて話しましたが、このとき「ああ、カーがいうのはこういうことなのだな」なんて思ったものです。  長い長い夢でした。夢に中であんなにすらすらと喋れた内容が醒めてしまうとなかなか思い出せません。また夢の中であの生徒たちに会いたいものだと思っています。

 この夢を見た日のことです。
  当日長女から勉強を教えてということで早く帰ってきてというので、午後7時頃事務所を出ました。長谷川慶太郎「1995年世界はこう変わる」を買おうと思って、本屋に入りましたが、どうしてか駅前のどの本屋にもおいてありません。ミステリー関係の雑誌を買いましたが、これだけでは電車の中で不満です。お茶の水駅近くの古本屋に入りました。
  いつも買うあたりを探しましたが、なぜか急にその反対側にある岩波文庫のあたりに行きました。ずっと古い本を探すなか、引き寄せられるように次の本にあたりました。中を少し読むなか、私は気がつきました。私はこの本の内容を朝夢の中で箇条書きにしていたのです。

書名    一言芳談抄
著者    不明
校訂    森下二郎
発行所  岩波文庫

  これは現在絶版です。私が300円で購入したこの文庫本も、昭和17年に星一つ20銭で売り出されたものです。100ページに満たない薄い本です。でも電車の中で読んできて、おそろしいほどの珠玉のような言葉のつまっている本だということに気がつきました。校訂者が最後の解題に書いています。

    此書は念佛門に關する法語百數十條を收録したものであつて、法然上
 人をはじめ鎌倉時代初期の念佛者二十餘家の言行を簡易平易に記述し
  てある。さうして此の簡易平易は實に此等の人々の信仰が深くして熱烈
  であるところから來ているのであつて、そこに記されたものは信仰の理
  論ではなくして、信仰そのものであり、眞實なる宗教體驗そのものであ
  つて、淨土教の本質を具體的に示してゐると言つていゝ。

  この「一言芳談抄」は鎌倉時代の初期、戦乱に明け暮れた時代に生きた浄土宗の上人たちの言葉が集めてあります。内容は、

  一言芳談抄一
      三貧  居服食
      清素
      師友
      無常
  一言芳談抄二
      念死
      臨終
      念佛
      安心
  一言芳談抄三
      學問
      用心

となっています。とくに生と死ということを追及しているといえるかと思います。おそらく戦乱の中で、飢餓や疫病に悩んでいた人たちのとって、法然の説く教えはかなりな安心感を与えたことでしょう。

    法然上人或人にをしえて云、人の命は、うまきものを大口にくひて、
 むせて死ぬる事もあるなり。しかれば、南無阿彌陀佛とかみて、南無阿
 彌陀佛とて、くとのみ入るべし。

    解脱上人云、一年三百六十日はみな無常にしたがうべきなり。しかれ
 ば日夜十二時(とき)は、しかしながら終焉のきざみと思ふべし。

  敬仙房云、一生はたゞ生(しょう)をいとへ。

    明遍云、出家遁世の本意は、道のほとり、野邊の間にて死せん こと
 を期(ご)したりしぞかしと。如此(これのごとく)おもひつれば、い
 かに心ぼそき事にあふとも一念も人をうらむべからず。それにつけても
 佛力をあおぐべきなり。

    或(あるひと)云、我臨終の時は、すは、たゞいまとみゆるはなどい
 ふべからず。無始よりをしみならひたる命なれば、心ぼそくおぼゆる事
 もあらんか。たゞ念佛をすゝむべきなり。

    或云、蓮阿彌陀佛が夢に、八幡宮つげてのたまわく、往生は一念にも
 よらず、多念にもよらず、心によるなり。

    又(法然上人が)云、念佛の義をふかく云ふことは却つて淺き事なり。
  義はふかからずとも、欣求だにも深くば、一定往生はしてん。

    正信上人云、念佛宗は義なきを義とするなり。

    禪勝房云、所詮淨土門の大意は、往生極樂はやすきことと心得るまで
 が大事なるなり。やすしと心得つれば、かならずやすかるべきなり。

    明禪法印の云、たゞよく念佛すべし。石に水をかくるやうなれども、
 申せば益あるなり。

    法然上人云、稱名念佛は樣なきを樣とす。身の振舞、心の善惡をも沙
 汰せず、懇に申せば往生するなり。

    法然上人御往生の後、三井寺の住心房に夢の中にとはれても、阿彌陀
 佛はまたく風情もなし、たゞ申すなりと上人こたへ給ひけり。

    顯性房の云、小兒の母をたのむは、またく其故を知らず。たゞたのも
 しき心あるなり。名號を信敬せんことかくのごとし。

  ときは鎌倉時代の初期です。戦乱にあけくれ、都もどこも屍体が散乱していました。法然のただ念仏を称えよという教えは、どのくらいの人々に安心感を与えたものでしょうか。実はそれまでの念仏宗は、死ぬ間際まで念仏を称えることにより、恍惚感の中でいわば錯覚の中に、極楽を見させるというようなことをやっていました。だが戦乱や疫病や飢餓の中、そんな念仏を称えることも出来ず、死んでいった人々が多々あったことでしょう。  そんな中にあって、ただひとこと念仏を称えてさえいれば、もうそれでいいのだ、それで阿弥陀如来のもとへ往生できるのだといった法然他の浄土宗の教えに、どれだけ多くの人がひきつけられただろうと思います。  ここに掲げたいくつもの上人たちの言葉に、その強い信仰を感じとることができます。じつによくここまでに到った信仰者がいたものです。私などにはただただ足元にも及ばないなと思うばかりです。

  ただ、ここで私がこれら上人たちの足元にも及ばないと感じるところで、さらに思うところがあるわけです。念仏さえ称えればいいといったって、それで安心できるのでしょうか。それで心がやすまるのでしょうか。あの時代の人はどうだったのでしょうか。そこのところが、さらに法然から、親鸞へ私が行き着いてしまうところなように思います。

    念仏まうしさふらへども、踊躍(ゆやく)歓喜のこゝろ、をろそかに
 さふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこゝろのさふらはぬは、い
 かにとさふらふべきことにてさふらふやらんと、まうしいれてさふらひ
 しかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなゞこゝろにてありけり。
 よくよく案じてみれば、天におどり、地におどるほどに、よろこぶべき
 ことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり。
 よろこぶべきこゝろをさへて、よろこばせざるは煩悩の所為なり。
                          (「歎異抄」)

  念仏を称えても、少しも嬉しい気持にならないという唯円に対して、「俺も同じだよ」といってしまう親鸞の姿があります。私たちにはただただ煩悩があるからこそこの現世に執着してしまうのだ、別にそれでいいのじゃないの、来るときがきたら自然に浄土にいくのさといいきっていまう親鸞の姿があると思います。
  ここが、こうした「一言芳談」の上人たちのひとことひとことに感動しながらも、親鸞の方へ歩いていきたい私であると思っているのです。  この「一言芳談抄」を手にとって読んでいくと、これらの多くの上人たちが言っているのは、「生と死」の問題というよりは、「死」についてのみというような感じがしてきます。死を厭うことはないのだというような主張が私には見とれてしまうのです。この文庫本の奥付を見ると、

    昭和16年3月20日印刷
    昭和16年3月25日発行
    昭和17年6月10日印刷
    昭和17年6月15日第2刷発行(5千部)

となっています。ちょうど戦争が日米戦争にまで到った時期であり、どうしてか当時の多くの若者が死を前にしてこの本の一字一句に魅せられていたように思ってしまいます。私にはこの文庫本を手にして戦場へ行った多くの若者の姿が見えるような気がします。南方やビルマの戦場で、この文庫本を開いている若者が大勢いたような思いがしてしまうのです。
  もちろん法然上人だけは、まさかそうした傾向ではなく、さすがと思わせる話が多いのですが、他の上人たちの話には、そうした「生」も「死」も同じだ、「死」を厭うなというような主張のみ感じてしまうのです。こうしたところが、私にはどうしても、同じ浄土門の信仰としても、やはり親鸞の側に、親鸞の教えの方にひかれてしまうのです。(1998.11.01)