10122403書名  銀河興亡史1「ファンデーション」
    銀河興亡史2「ファンデーション対帝国」
    銀河興亡史3「第二ファンデーション」
著者  アイザック・アシモフ
訳者  岡部宏之
発行所 ハヤカワ文庫

 これはもうSFの古典であり、アシモフの代表作といえるかと思います。しかしこの壮大なる宇宙叙事詩とでもいえる物語こそ、何故か宇宙を描くSFの限界を示しているように思えてなりません。
 ハリ・セルダンという天才科学者が存在しています。彼は心理歴史学を完成させ、それにより現在の銀河帝国の未来を予見します。心理歴史学とは、個々の人間の行動は予測できないが、充分に大きな集団になれば統計によりその未来を予測することが可能であるというのです。そしてその出てくる予測は、この現在繁栄する銀河帝国はあと500年で崩壊し、その後は3万年に渡る暗黒時代が続いてしまう。この流れはもうどうすることもできません。ただその暗黒時代を1千年に短縮することは可能だというのです。そのためには、銀河の両端にふたつのファンデーションを設立しなければならないのです。それをセルダンはなんとか実現していきます。もちろんそれは心理歴史学ではもはや予測できていたことだったわけなのでしょうが。
 さてこの心理歴史学という内容を読んだときに二つのことを思い浮かべました。
 まずはできるだけ大きな母集団からとった偏差値を利用した進学指導のことです(私は昔進学教室を経営しておりました)。しかしこの数値は個々の個人にこそ参照するように利用するわけであり、いくら母集団が大きくなっても、全体的な進学の分野の歴史の予測など考えようがありません。
 またもうひとつ、私はエンゲルスを思い浮かべました。

  このようにして歴史の領域における無数の個々の意志および個々の行
 為の衝突は、無意識の自然を支配しているのと類似した状態をもたらす。
 行為の目的は意欲されたものであるが、行為から実際に生じる結果は意
 欲されたものでなかったり、あるいは、はじめは意欲された目的に合致
 するように見えても、けっきょくは意欲された結果とはまったく別のも
 のであったりする。このように、歴史的出来事は大体において同じよう
 に偶然に支配されているように見える。しかし、表面で偶然がほしいま
 まにふるまっているばあいには、それは常に内的な、かくれた諸法則に
 支配されているのであって、大切なことはただこれらの法則を発見する
 ことである。
 (エンゲルス「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の
 終結」松村一人訳、岩波文庫)

 心理歴史学とはこのことじゃないのと思ったものです。たしかにこれは魅力ある考えだとしても、はたしてこれで未来が予測できるものなのでしょうか。少なくとも、エンゲルスはこのハリー・セルダンのような予測まではしていません。
 ともあれ、アシモフがかなり長い年月をかけて書き続けた傑作であり、しかもその後もさらに続編を書き続けたという作品であるのは驚くべきことです。最初の巻が書かれたのはちょうど日米戦争の1942年のことです。この巻でのファンデーションの銀河帝国とのかけひきをみていると、ちょうどこのファンデーションこそバブル経済崩壊前の日本をそのまま描いているように錯覚してしまいます。私は思わず、え、これはいつ作者は書いたのだろうと思い、それが第2次大戦中なので、かなり驚いたものでした。この巻のみはそんな日本の姿と重ねあわせ、面白く読んでいけました。
 2巻「ファンデーション対帝国」、3巻「第二ファンデーション」とセルダンの予測どおりに未来は進んでいきます。第1ファンデーションの役割も第2のそれも、どうやら役割を的確に果たしているようです。しかし、また少々文句をつけると、未来社会なのに、どうして「帝国」だの「公国」だの「王国」だのが存在するのでしょうか。もしもそれがまた必然の予測にありえることなら、それをまた説明いただきたいものです。いや、これはこの作品に限らず、どのSF作品にも感じてしまうことです。科学の進歩のみならず、社会のしくみの停滞も説明してもらいたいものです。
 ともあれ、もう4巻、5巻は出版されているようです。また引き続き読んでみよう思っております。

 さて引き続きの4巻です。
 この「銀河興亡史」の4巻がこの日本で翻訳出版されたのは(単行本としてはもっと早く出版されていたのかもしれない)、1996前のことでした。さらに5巻は1999年の夏に出版されています。アシモフが上の3巻を書き終えたのが1940年代であり、出版されたのが51~53年だったようです。それから実に30年以上の年月がたって、アシモフはそのあとの物語をまた書き始めました。

書名  銀河興亡史4「ファンデーションの彼方へ」(上下)
著者    アイザック・アシモフ
訳者    岡部宏之
発行所  ハヤカワ文庫
定価  上下各652円
1996年7月31日発行

 この物語を5巻まで読み終わってから、また詳しく述べたい気がしていますが、いまは、この4巻で少し感じたことを書きます。
 この長大なる物語は、宇宙未来史であるわけですが、4巻になって、突如として私たちにとんでもなく馴染みのアシモフの世界が出現してくるような気がしてしまいます。私はもともと、この話の根源のハリセルダンという科学者の考え方に、唯物史観を感じていた、しかもマルクス=ヘーゲルというよりも、エンゲルスのいうところの歴史観を感じてしまっていました。だが、それがもっと身近な世界が開かれてしまったのです。それは、それは突如「鉄腕アトム」の世界が出てきてしまった感じなのです。
 この宇宙未来史を動かしていたはずの、ファンデーションと第二ファンデーションの世界に「ガイア」という存在が出てきます。いや、本当はそれは最初から存在したのだといいいます。そして「ガイア」とは大地のことであり、これは「地球」のことではないのかと思ってしまいます。ガイアとはギリシア神話におけるゼウスの父のクロノスのさらに父のウラノスを産んだ母であり、かつウラノスの妻でもあります。突如として、宇宙未来史に地球の話が出てくるのです。だが、どうもこのガイアは地球そのものではないようです。だが、その地球の歴史の中から出てきたものであるようです。
 そしてそのガイアの今の存在を規定してしまったのが、地球の過去の歴史であるようです。そして、その地球の話として突如ロボットの存在が浮かび上がってきます(ただし、ほんのわずかしか示唆されていないよ)。私は突如、「鉄腕アトム」の中で、「ロボット法」などという話で、たくさんのロボットが「ロボットに、もっと自由を!」とデモしているシーンを思い浮かべました。そこにはアシモフの「ロボット3原則」なるものが掲げられていました。私は「鉄腕アトム」を子どものときの月刊「少年」でしか読んだことがありませんから、この話は昭和33年くらいに読んだものだと思います。
 この「鉄腕アトム」におけるロボットたちの苦労(アトムの話は21世紀の話なのだ)が、いわば本当の歴史としては、現在20世紀の日本がロボット大国である所以なわけですが、そうしたことが、この宇宙未来史における「ガイア」の存在を大きく規定しているように、私は思えてならないのです。
 そうすると、私にはこのあとの第5巻の話がもっと、身近な話になってしまうような気がします。ロボットと人間とは、いったいどういう違いがあるのだろう。そして人間は、そして地球そのものは、どう未来に向かって進化(退化停滞だったかもしれないが)進行していったのだろうかというようなことですね。 まあ、とにかく次の5巻もまた読んでいきましょう。

 それから、以上のことは私が勝手に解釈して述べていることです。もしも誰かがこの巻を読まれたら、「そんなこと、どこにも書いていないじゃないか」と思われるかもしれません。いやそう思われることでしょう。
 ただ、私は上のようなことを感じとってしまったということなのです。

 私は引きつづき5巻も読みました。だが、もう私が上に書いたことがそのまま書かれているだけの思いしかしませんで、なんだかあまり迫力を感じない物語で終わってしまった気がしてしまいます。それでこの5巻に関しては、何も書く気になれません。(1998.11.01)