10122702 この一つ前の「追悼私記23」で、私の古くからのクライアントである川口の会社の社長の奥さまが亡くなられたことを書きました。
 その早すぎる死になんだか悔しい思いでいたのですが、今度は、その実のお兄さんであります小林好友さんが、4月10日午後7時37分亡くなりました。享年77歳でした。
 私は先週4日にこの会社の鈴木木工所に行ったときに、社長から、小林さんが先日一旦退院したことをお聞きしました。また入院されたようですが、「それならもう治るんだろうな」とばかり思い込んでいました。だからそのときにも私は社長の自宅でしこたま酒を飲み続けたものでした。

 それが11日、ある会社に直行して、午後3時頃事務所へ行ったところ、お通夜と告別式の知らせがFAXで入っていました。そのときの私は、もうどうしたらいいか判らないくらいに動揺してしまいました。そして「どうして、お見舞いに行かなかったのだ」と自分を責める自分の声のみが聞こえてきます。
 私はもう黙って、仕事を続けました。夜遅くに帰宅はしましたが、さらにずっと二つの会社のホームページのCGIを作っていました。なんだか、それで

  あ、これでどうしてうまくいかないんだろう

なんてことばかり考えていられるのが良かった。それで、とうとう夜が明けました。
 12日も仕事で忙しくて、それでもお通夜の時間は迫ります。ただ、出掛けにパソコンの操作の相談の電話がかかってきまして、それで、少しお通夜の時間に遅れてしまいました。
 タクシーの運転手さんと、大正生まれのお話(小林さんは大正14年生まれ)の話をしながら会場に向かいました。会場に入ると、もうどうしても涙が出てきます。
 私は不安でした、なんだか大声で泣き出しそうで、それがいくらなんでも私の場合異常な感じになりそうで、それで不安でした。でもお清めの場では、私の知らない方ばかりのところで、そこで小林さんのお話を聞いていました。みな、お年よりですが、小林さんがいつも元気で、かつ大酒飲みだったことを愉しそうに話しています。「小林さんは、きっと『もっと飲んでいけよ』って言っているぜ」というある方の言葉に誰もがうなずきます。
 奥さまと息子さんと娘さんと、そのほかもちろん鈴木木工所の方々と、それから最初の最初、小林さんに私を経営コンサルタントとして紹介してくれた私の友人のO氏にも会いました。私は彼に会うと、なんだかとにかく大声で泣き出しそうで、とにかく我慢しました。ただただ冷や酒をあおりました。
 それで、私はこのお通夜の会場から去りました。もちろん御遺体には対面しました。やはり涙ばかりが出てきます。

 でももう、事務所に帰る気になりません。酒も中途半端だし、涙を流すのも中途半端です。いくつか考えて谷中の「浅野」へいきました。ここで日本酒飲んで泣けばいいだろうなんて思いました。でもでも、この店ではなぜか私を知っている人ばかりです。私が知らなくても、相手が知っています。ゆっくり泣いてなんかいられません。そしてただただ酒を飲んで時間がたっていきます。
 仕方ない、もうゴールデン街へ行ってしまおうということでタクシーに乗ります。タクシーで、「吐夢」に携帯で電話します。「吐夢なら、誰も客がいないだろう」。でもでも、ママが出ません。「こんなことなんであるのかな?」なんてところで、「じゃ、ひしょうだな」。

「ひしょう」に電話すると、なんだかすぐ聞き慣れた声が電話に出てきます。「え、誰だ、あ、そうか」ということで、T氏が仲間といるらしいことが判りました。ママはまだ店に来ていないようだ。私はタクシーの運転手にことわって、そこから携帯で、T氏に詩吟を聞かせます。「何曲か詠えば、きっと着くだろう」。かくしてゴールデン街「ひしょう」です。
 それから、また飲んで喋って、ママの顔も見た頃は、パソコンを開いて、なにか解説していたようです。それで、もうお店も閉店です。「ひしょう」の階段を降りて、一歩歩くと、「のり子」のママと顔をばったり合わせました。「万朶ちゃん(彼女は私のことを『歩兵の本領』の歌ばかり唄うのでこう呼びます)、飲んでいくでしょう!」ということで、彼女の店へ。
 ああ、やっと私は静かに飲めるなと思いました。1時過ぎてやっている彼女の店に客のいた例(ためし)がないのです。「これで、俺は泣こう」。
 でもママは元気に、話しかけてきます。「万朶ちゃん、一昨日ゴールデン街来たのに、私のところ来なかったでしょう」「え、俺はたしか来ていないよ」「え、平さん(新宿の流しのいい人)が言ってたわよ」なんて会話をしているうちに、なんと、お客が入ってきました。「なんか奇跡だな」。
 それがまたけっこう元気なお客でして、私は泣いているどころではありません。たぶん、またパソコンを開いて、大声で話しながら何かをやっていたような記憶があります。

 かくして、私は泣くことができませんでした。そして普通なら、さらにもう1軒三番街へいくところなのですが、さすが前日も眠っていないために、私は事務所に戻りました。何時に戻ったのかな。
 私は結局、小林さんのことは何も考えず、飲み続けました。でもでも、なんだか私には、小林さんが笑って私を見てくれていた気がしてしまうのです。

  生きているときにはよく判らなかったのだけれど、こうして見てい
 ると、萩原さんは、本当に酔っぱらいだね。

と笑って見てくれている気がします。
 小林さん、もう一度、いや何度でも飲もうね。(2001.04.16)