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10123114書  名 ちびまる子ちゃん
著  者 さくらももこ
発行所 集英社

「りぼん」に連載されていた漫画でした。もう連載は終わっています。我が家では、「りぼん」に連載のころから皆で注目しだし、単行本になったときにも早速購入しました。テレビ放映になったときにも、全員で懸命に見ていました。
我が家の年賀状に次女が小学2年生のときに「ちびまるこちゃんのようなマンガをかきたい」というコメントを書いて、いろいろな私の友人家族から、「ちびまる子ちゃんって、何?」なんて質問されたものでした。それで私の友人たちもテレビ放映されるときには、注目して見ていたようです。
この漫画の中についてはいくつも書きたいことがあります。ここではとくに父ヒロシとおじいちゃんの友蔵のことを書いてみます。

この漫画のなかで、私の好きな人物を順にあげると、

父ヒロシ
おじいちゃん友蔵
母すみれさん
ハマジ

ということになるでしょう。ちびまる子そのものはあんまり好きになれません。

まず、ちびまる子の父「ヒロシ」ですが、このおとうさんは何なのだろう。まずなにを商売にしているのだろう。誰もからよくきかれます。「答えは八百屋です」ということにしていますが、これでいいのでしょうか。この答えは作者自身が言っているのだけど、あの漫画をみているとどうもそう思えません。
作者は野菜とか、店風景かくの面倒だからといっているのですが、実はいまどうしょうかと考えているのではないかな。「あんたねえ、このワタシがそんなこと悩んでるわけないじゃん」という、さくらももこの声がきこえる気がしますが、やっぱり私には、あのヒロシはサラリーマンなのではないかな、なんて思えてしまいます。テレビの「ちびまる子ちゃん」では、やってきたヒロシの年下の同僚と屋台で飲むシーンがありました。あの同僚の愚痴とかヒロシのなぐさめかた考えると、やっぱり「地道な八百屋」とは思えません。「地道なサラリーマン」なのではないかのかな。
ところでこのヒロシ、昭和ひとけた生まれです。私は、よくこの世代と東京でも、私の住んでいるあたりでもそうなのですが、ディスカウントショップで遭遇したものでした。よくいろんなもの買い込んでいますね。やっぱり青春がなんにもない時代だったからなのでしょうか。
おもえばこの昭和ひとけたとは、いろいろなところでぶつかりあいました。むかし学生運動やっているころもよく飲み屋で喧嘩になりました。特攻隊にあこがれたひとたちがいちばんうるさかったものです。よく喧嘩して、何度も何度も言い合ううちに親しい友だちになったひとも何人もいます。言い合いして、「俺のうちへこい」といわれ、ついていくと、予科練のその時代の写真いっぱい見せられたことあります。この先輩は特攻隊でいっちゃったんだとか、俺はいまこうして生きているんだとかいろいろ話しましたね。でも私は私の主張をやめません。それがよかったんだろうけど。
ヒロシは、水洗トイレをうけつけない。ディスコをデスコという。

「ばかぬかせっ。水洗便所ほどケッタくそわるいもんはないぜ ありゃ  クソが水にまきこまれて苦しみながらながれていくじゃないか おまいはあんなもん毎回見たいのか。このヘンタイ」(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

「デスコ? おまえデスコにいこうっていうのか」
父はディスコといえない。“さすが昭和ひとケタうまれ”とみょうに納得してしまった。(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

  まる子は「おとうさん」といわない。「ウチのヒロシはね」なんて喋る。まる子とは友だちのようだ。

父ヒロシは、昭和九年に清水市で生まれ、それから何十年もその地で育ってきた。子供の頃から呑気者で、別に何のとりえもなく、他人から憎まれもせず誉めるられもせず、また他人を特に憎みもせず、ただただ酒と魚を食べて生きている男である。(「たいのおかしら」)

このエッセイのこの書きだしを読んだだけで、私は「いいな、いいな」と思ってしまうのです。私もできたら、こんなふうに描かれるような存在になりたいなと思います。

相変わらずヒロシは大笑いもせず怒りもせず、気ままに生きている。『ちびまる子ちゃん』に描かれるようになってから、他人にまで「あ、父ヒロシだ」などと呼び捨てにされる事もあるらしいが、それでも平気で生きている。
母の話によれば、ヒロシは最近太ってきた様子である。腹が出てきて仕方ない、と母は力なく語っていた。腹が出ようが出まいが、ヒロシにとってはそんなことはどうでもいいのである。彼にとって一番の問題は、近所のおいしい魚屋が定休日 のときはどこで買うのがベストであるか、という事ぐらいなものなのだ。(「たいのおかしら」)

この父ヒロシは、このエッセイに書かれたことも一生知らないで過ごすかもしれないようです。私はそんなヒロシこそ、いい存在だなと思ってしまいます。誰だってきょうのことくらいしか考えずに生きられるなんていいことなのですよ。
たぶん戦中、戦後大変苦労していまの「さくら家」をつくりあげたのでしょう。まる子がなんといおうと、いつまでも毎日酒飲んでいってほしいものです。

おじいちゃん友蔵も大変愉快な人物です。さくらももこの本当のおじいさん友蔵は、作者にいわせれば、「祖父は全くろくでもないジジィであった」(「もものかんずめ」)ということですが、この「ちびまる子ちゃん」の友蔵は、作者も大好きなおじいさんのようです。
まる子の夏休みの宿題を家族が手伝って、おじいちゃんが日記を担当すると、

8月15日天気晴
けふは終戦記念日なので、私は目をつむり、感無量になりました。思へばあの日、父母とラジヲの前で(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

と書いてしまいます。そうすると年はいくつなのでしょうか。生まれは明治40年くらいかな。戦時中に米軍の焼夷弾攻撃の中みんなを指揮して町の被害を最小限に防いだと死後、町で最初の「名誉町民」にされます(もっとも「おじいさんはただ逃げまわっていただけ」とおばあさんがバラすが)。とすると日中戦争くらいは参加したのかな、年金生活者だから軍人恩給をもらっているのかな、なんて思ってしまうのです。
いつもいつもまる子にだまされています。それでもまる子にかまわれるのがたのしいようです。この友蔵もまる子の友だちのようですね。

「サザエさん」とくらべると、さくら家は友だち家族なのですね。
子どもたち小さいときに、よく友だちがあっまったときなんか、この「サザエさん」と「さくら家」の家の間取りはどうなっているのだろうなんて話すことがありました。間取りだけでなく、いろんなところ、この二つの家族は対照的ですね。「サザエさん」の家族は、かろうじて家父長制を保っている気がします。「さくら家」だと、みんな友だちなんですね。わが家もみんなそんな感じです。(1992.06.25)

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