11010105 25日(火)午前11時15分くらいに石岩先生の治療が終わって、外へ出て携帯の電源を入れると、メールが入っていました。

  川尻死んだ。トロイカで昨日聞いた。

 友人の清水さんからでした。私はもう大変に驚きまして、すぐ清水さんに電話をかけました。だが、その清水さんも驚いています。なんでも2カ月くらい前に突然亡くなったそうで、トロイカ(神田のトリスバー)のマスターも1カ月くらい前に突如知ったようです。
 川尻久夫さんは、私より1歳年上の昭和22年生まれでした。私たち神田会の友人でもありました。私が26歳のときに、温泉新聞社で出会いました。そのときに清水さんは、温泉新聞社の編集長でした。そのときからの友人です。
 彼はずっと新聞記者のみをやっていました。温泉新聞社のあとは、百貨店業界の業界紙、そのあとはどこか通信社の記者になっていました。
 ただとにかく、彼は酒飲みでした。私も同じなんですが、私がすぐに、どこでも歌を唄いだすような人間で、なおかつ毎日あちこちの飲み屋で飲むのに、彼は黙って、黙々と飲んでいました。そして毎日、トリスバーの「トロイカ」で飲んでいました。思えば、このバーで約30年間毎日(除く日曜日)飲んでいたのです。そして、このトロイカのあとに行くのが、

  フジクラ

でした。ここでも、ただただ毎日飲んでいました。
 思えば、私は彼の自宅や奥さんのことはほとんど知らず、とにかく「トロイカ行けば、必ず会える友人」でした。トロイカにいなければ、「フジクラ」にいます。フジクラにいないときは、神田小路の他の店を見渡せば、必ずどこかで飲んでいるのです。
 ただ、私は温泉新聞のあとは、またいろいろと違う業界を渡り歩きました。それで、ときどき「トロイカ」に行くと、カウンターで眠っている彼を見たものでした。そして眠っていても、必ず私に対して同じことをいいました。「清水さんに迷惑をかけるなよ」と。
 そして、あるときに、この「トロイカ」に行ったら、何故か彼は頭を丸めて袈裟を来ています。なんだか判らないまま、あとで店のマスターに聞くと、

  今は、禅宗関係の業界紙の記者らしいですよ

ということでした。
 それから彼は、この禅宗というか、その仏教の関係の編集の仕事を続けていました。そして私が神田会に誘うと、入ってくれまして、神田会でも一緒に飲むようになりました。
 ただ、とにかく彼は、毎日酒を飲むことだけはそのままでした。そして飲む飲み屋も同じでした。私が彼の編集の仕事に、ある女性を紹介したのですが、その彼女と仕事の合間には、また同じ飲み屋で飲んでいました。私は呆れ果てて、

  あんなに若い綺麗な娘と飲むときは、もう少しましな店に連れてい
 けよ。可哀想だよ。あんまりだよ。

 でもでも、彼はまったく同じでした。ただ、彼ももうパソコンを駆使して仕事をするようになっていました。そのパソコンの操作についても、私はいろいろと聞かれたものでした。また彼が作る仏教関係の本について、あるお経を漢文書き下し文にするのに、私もお手伝いをしたりしたものでした。お教というのは、インドだけではなく、中国でも書かれたものがたくさんあるんですね。それを、どういうふうに書き下すかというので、解釈が違ってしまう場合があるのです。大学の先生のような学者はなかなか、その書き下しをやってくれないのです。だから私が必死にやったものでした。
 そんなお経の解釈のことや、パソコンの操作、ホームページの作り方などを彼とよく話しました。また彼がいつもよくいく店だけではなく、私は他にもいろいろな店に彼を連れていきました。彼はただただ、ずっと飲み続けていました。
 このごろは、「痛風になった」というので、ビールは飲んではいけないらしいのですが、それでもただただ飲んでいました。ビールだって、普通にそのままただただ飲んでいました。
 思えば、私たちは友人といいましても、何かあったときに、その奥さんとかいう関係者が連絡をくれるという関係ではないのですね。それは飲み屋のマスターたちも言っていました。

 私はこのことを知った日の夕方、まず「トロイカ」に行きました。何も喋らないまま、ウォトカを5杯飲んだあと、マスターと少し彼のことを話ました。 そして「フジクラ」へいきましたら、マスターが私の顔を見るなり「川尻が死んだんだよ。飲んべいだったからな」といいました。私はもうただただ、酒とビールを飲むしかありませんでした。

 次の朝、私は妻にいいました。「早くブルータスを嫁に出そうよ」。妻は「何を急に言い出すの?」といいます。私は「いや、川尻が死んでサ、飲み過ぎなんだ。あいつが死ぬんなら、俺も同じだよ。いつ死ぬか判らないから、せめてブルータスの花嫁姿見ておきたいよ」といいました。

 昨日の夕方、自宅に帰宅して、そしてひさしぶりに長女のおはぎがきました。

  パパが元気ないんだって、友だちが亡くなったんだってね。でもブ
 ルータスがお嫁に行くときまでなんて考えないでよ、孫と一緒に遊ぶ
 んでしょう?

と言われました。もちろん、私はそのつもりだったのですが、こうして私の親しい、ただただ毎日酒を飲んできた友人に死なれてしまうと、私も元気が出ないのです。私は先週、次の日もその次の日もその次の日も彼を想って飲んでいました。これじゃ、同じになってしまうかな。
 私の中の彼の思い出の顔に献杯します。(2004.05.31)