11010204 私の15歳くらい下の大学の後輩がある有名コンピュータ会社の人工知能の研究機関に入りました。その後輩とはなんどか会ったときにさまざま話しました。かなりその会社ではさまざまなことがコンピュータでできると考えているようです。とくに経営コンサルティングなどには応用できると考えているようです。でも話を聞いて私はこれはダメだなと思いました。そんなことではとうていコンサルティングなんかできないよといくつもの事例を出して説明したものです。はっきりいえば、酒も飲めないコンピュータでは、その企業のもっている悩みの的確な把握はできはしません。
  そもそも知能といういうことをどうとらえるのかが問題なのです。人間とは一体何なのかということが問題なのです。

  昔橋田浩一という人工知能の研究をやっている人の「機械の知」という講演を聞いたことがあります。その話の中で、2つの部屋に人間とコンピュータをいれて、その二つともうの一人の人間が、姿をみることなしにテレタイプで会話していくと、その人間にはどちらの部屋にいるのが人間でどちらが機械であると判る確立が50%なのだというのがありました。つまり質疑応答だけでは、人間と機械の区別がもう一人の人間には判断がつかないというのです。この機械がさらに、声も姿も同じになったらどうなるのでしょうか。人間と機械とはどう区別できるのでしょう。人間っていったい何なのでしょうか。
  そうしたことを考えさせてくれたSFがあります。

書名    アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
著者    フィリップ・K・ディック
訳者    浅倉久志
発行所  早川文庫

  まず印象としてはあまりも読んでいて愉しくなかったのです。どうしても人間と機械ということへの答えがなかったように思えます。

  この地球に核戦争がおきて、人間含めた動物が大部分滅びてしまいます。辛うじてのこった人は、わずかに残った動物を飼うことで、わずかに慰められた生活をしています。だがこの動物たちが、おどろくほど高価です。だからほんものそっくりの電気で動く動物も売られています。そして人々はその電気動物が隣人には本物だと思わせて生きています。生きている本物の動物を飼えないなんて恥ずかしいことなのです。
  この地球に、火星から奴隷として酷使されているアンドロイドが逃亡してきます。地球に自由を求めて逃げてきたのです。しかしそんな逃亡アンドロイドを殺す役割をしている賞金稼ぎが、この小説の主人公リック・デッィカードです。彼はたくさんのアンドロイドを殺して、その賞金ではやく本物の羊が買いたいのです。
  しかしこのアンドロイドはまったく人間そっくりです。人間と機械であるアンドロイドを正確に区別しなければ、リックの仕事はなりたちません。人間の社会の中に、人間と同じに生活しているアンドロイドを見つけ、それがアンドロイドであることを証明し、そして殺さなければならないのです。それには疑いのかかった人物に課する知能テスト(感情移入テストという)があるのです。それで判断してからでないと、リックは銃を撃つことはできません。機械は自然や動物をいとしいと思うような感情移入ができないはずなのです。

  ところが段々アンドロイドが高性能になってきて、アンドロイド自身でも自分がアンドロイドなのかを知らない回路を埋め込まれたものも作られてきます。したがってこの知能テストもさらに高度化していきます。アンドロイドの中には、人間の芸術にもかなり堪能してくるものも出てきます。ついには、リックは自分が人間なのかどうか、自分にテストを課してしまうところがでてきます。人間っていったい何なのだろう。機械ではない人間らしさっていったい何なのだろうか。

  その結論はこの小説では出てくるようには思えません。仕方ないことなのでしょうね。ただもう少し、人間の知能って何だ、人間の感情って何だというようなことにまで触れて欲しかったなという思いがしたものです。
  しかしちょっとこの本の紹介とはいえないのですが、こうして書いてきて、この十行くらい前あたりを書いているとき、この文を私は随分昔同じことを書いていたことがあるような気持にとらわれてきました。その昔とはなんだか判らないのですが、とてつもなくかなりな昔、ちょうど私がどこか違う惑星にいたときのような思いがします。
  私が人間ではなくアンドロイドなら、何かの回路にそれが残っているのかもしれません。いやそもそも人間がそうしたものなのかもしれないななんて、今思ったものです。(1998.11.01)