11010707 子どものときから、私は自分以上に能力のある人たちをたくさん見てきました。「頭のいい人ってたくさんいるなあ」とそうした友人たちを見ていました。だから、きっとその人たちとは、このインターネットの世界で再会できるのだろうと思ってきました。でも少しもそんなことにはなりません。大学での活動家でも、「もうあいつは今、英語じゃなくドイツ語で喋るらしいぞ」とか「今NASAにいるようだ」とか「今日本へ帰ってきて、○○国立大学の教授だって」とかいう友人もいます。でもどうしてもインターネットの世界では出会えません。そんな人たちとは、過去私がどんなことをやっても「まだ、そんなところへいるのか。俺は、もうこんなことをやっているんだぜ」というような差を感じていたものです。でも今はどうなのでしょうか。

  何、まだインターネットなんて古いものをやっているのかよ。俺
  は、もう「瞬間移動法」で毎日火星と木星を往復しているよ。

とか言うのなら、判るんですが、そんなことは絶対にありえません。
 でも私は「どうしてなのかな、あれだけ頭のいい彼らが、なんでメールくれたりしないで、年賀状だけなんだ。しかもその葉書もまだ印刷屋使っているし。ホームページくらい簡単に作れる能力なんかあるはずなんだけれど」という思いなのです。このことが、私には重いしこりのような感じで思っていたものでした。「どうしてなんだろう?」
 その解答らしきものに、私は今出会えたというか、判ってきた気がしています。それは吉本(吉本隆明)さんと吉本さんに紹介された三木成夫さんのおかげです。人間には脳だけではなく、心があるわけです。でもその心というのはいったいどこにあるんでしょうか。もちろん脳で考えることも心の動きです。でも、それ以上に、心とは人間の内臓の働きなのではないかと私は気がついてきました。
 人間は、おそらくアメーバのようなものから次第に進化してきました。魚になって、両棲類になって陸にあがり、爬虫類にも鳥にもなりました。そして、人間は生まれるときに母親の胎内で、その過程をすべて体験してきます。母親が「つわり」になるときは子どもが両棲類の体験をしているときだと言われています。生物が海でのえら呼吸から、陸地に上がって肺呼吸になるときには、動物は大変に苦しい思いをしたのでしょう。だから、胎内の子どもも苦しいし、それが母親のつわりにつながります。
 胎内の子どもは、最初は魚の顔をしていまして、だんだんと両棲類、爬虫類と顔が変化してきます(三木さんの本には、それが点描で描かれています。また谷中の「朝倉彫像館」には、こうした像があります)。人間は鳥でもあったから空を飛ぶ夢を見ることがあるのでしょう。
 人間が植物であったこともあるはずです。だから私たちの身体にはその植物の器官が残っています。それが、口から肛門に至る内臓の働きです。この内臓の働きが私たちの心の大きなものだと思います。私たちが二日酔いで苦しんでいるときは、脳が苦しいのではなく、内臓が苦しんでいるのだから、私たちの心はそれで憂鬱になります。誰かに恋したとすると、脳で彼彼女を思い描くよりは、心臓が胸が心が痛んだり、嬉しくなったりしているのです。
 私はずっと、「脳で考えるのではなく、心で考えよう」と思ってきました。そしてその心とは、やはり内臓の働きだと思うのです。だから、「脳ではなく、内臓で考えよう」と思ってきました。ちょうど植物もさまざまなことを感じていることが判ってきています。植物にも心があるのだと思います。
 私は今、インターネットをやっていまして、そのことをものすごく感じています。「脳だけで判断しようという人間は、もうこれからは駄目かもしれないなあ」、と。
 そして、このことは、人間ということだけではなく、私の相手している企業でも言えるのではないかと思っています。「心で考える」経営コンサルティングができるはずだと考えています。(2001.08.27)