2017082102書 名 三位一体の神話
著 者 大西巨人
発行所 カッパノベルズ

大西巨人といったらやはり「神聖喜劇」を思い浮かべるでしょう11010801か。私はこの長大な小説を読み終るのに丸2年かかってしまいました。また1ページ読むのに時間のかかったこと、まったく大変でした。ほんの僅かな期間の軍隊でのできごとなのですが、それがまた驚くほどの内容が盛り込まれています。
主人公は軍隊生活の合間に、マルクス「ゴータ綱領批判」の一節を思い浮かべ、また田能村竹田の詩を思い出します。私はここで少し出てきた江馬細香という詩人について、この頼山陽の彼女たる細香のことなどなにも知らず、恥いってしまい、すぐに細香に関する本を2冊ばかり読んだものでした。とにかく大西巨人とは名のとおり「巨人」なんだなという怖ろしいまでの思いがしたものです。
その巨人が推理小説を書いたというのは知っていました。いったいどんな内容なのだろうと、興味と怖れみたいな入り交じった心境でした。それがやっと手に入りやすい形になりました。

「悪」の反意語(アントニム)は、「善」か。それならば、語は、 「善日」だろうか。しかし、「善日」という成語の使用は、日本では あまり普及しなかったようだから、「好日」または「吉日」が、普通だろう。「好日」については、たとえば夏目漱石作俳句「花落ちて砕けし影と流れけり」の「問ふて曰く相思の女、男を捨てたる時什麼(そも)/漱石氏筆を机頭に竪立して良久(ややひさし)曰く日々是好日」という前書きが、また「吉日」については、たとえば    井原西鶴作『日本永代蔵』巻六の「彼に味噌屋、敦賀にて呼び迎へし女房は去りて、濱手に少しの見世を出し、是にも世帯人なくてはと、其所より、女房呼びしに、吉日を見て頼みを遣はしける時、角樽一荷、鯛二枚、銭一貫文、是を送る」という一節が、僕(枷市和友)に思い浮ぶ。(「第四景 近景 二十九 『尾瀬路迂全集』編纂始末抄 三」)

ああ、またしても大西巨人の世界に入ってしまった、と感じてしまいます。またこれで、漱石の俳句を探してみたり、井原西鶴を読んだりすると、深みにはまっていくわけです。
さてこれはミステリーとあるのですが、まずいったい何人の人が普通これを推理小説と認識できるでしょうか。別に犯人探しや、アリバイくずしがあったりするわけではないのです。

作中人物尾瀬路迂(おせみちゆき)は、「眼高手低(がんこうしゅてい)」という言葉に言及している。作者自身は、「眼高手低」という事柄をわがこととして承知してきた。しかし、読者諸氏は、「この作品は、推理小説的な枠組みの中で進行する。」というような命題に消極的に捕らわれることなく、論理的な思考・文脈の細緻な網の目を存分に咀嚼し、『罪と罰』ないし『魔の山』を読むごとく『三位一体の神話』を読まれよ。そのとき、必ずや読者諸氏は、作品の心境に触れて多大の感興ならびに精神的栄養を 享受する(ことができる)であろう。(「著者のことば」)

著者をモデルにしたと思える作家尾瀬路迂が、同じ作家である葦阿胡右(いくまひさあき)に殺されます。しかし自殺と認定されます。七年後同じく葦阿胡右は枷市和友(かまちかずとも)という「尾瀬路迂全集」の編集責任者を殺します。これは他殺であることが認定されますが、犯人の見当もつかないのです。私たち読者には犯人ははっきりしています。だがこの犯人はどうしてこの殺人を犯すのでしょうか。ここのところがこの小説の一番の面白さのところです。

第一事件において犯人の殺人を決意・実行する動機の叙述・闡明が不都合である(そんなことで人は殺人を決行するであろうか)、というような短見の批評が、一つ二つ見られた。むろん作者は、そうとは信じない。その批評は、人間精神(情念)の種種相にたいする通りいっぺん・かいなでの知見に立脚している。小説家は、人間精神(情念)の各深淵に測深儀を下さねば、文学の極地へ辿り着くことができぬのである。(「著者のことば」)

どうしてこの犯人の殺人の動機が判らないのでしょうか。この犯人の殺人に至る動機は明白なのです。犯人である葦阿胡右は、

尾瀬は早晩おれの過去・おれの身上に関する秘事を───世間の人人・一般の読者にもそれがおれのことだと明白にわかるような形式内容の作物として───発表するのではあるまいか、とおれは、ここ数カ月とつおいつしてきたが、中編小説『三位一体の神話』が、それなのではなかろうか。

と怯え、その小説の発刊を阻止しようと、第一の殺人に至ります。これはこの犯人の秘事がきわめて隠匿しておきたいことがらだからなのです。この上巻のカバーに吉本(吉本隆明)さんが次のような推薦文を書いています。

わたしは、漱石の『こころ』の推理小説版のように讀んだ。これはひとりの女性をめぐるふたりの男のかけひきの罪ではなく、氏素性や年齢や経歴の秘匿をめぐる罪のものがたりだ。漱石には根源的な不安があり、この作者のは世にも稀な根源的な理路があると思う。

まさしく「世にも稀な根源的な理路」というのは、まったく言い得ているなと思います。この経歴等の詐称の秘匿は他の人間には計り知れないほどの深淵であることがあるのだということなのでしょう。そしてこの葦阿胡右には、大変に大事なことなわけなのです。
それにしても、この小説も読むのにかなり苦労してしまいました。
ただかなり最初から愉しかったのは、この登場人物の名が、シェイクスピア「オセロ」の各人物の名からパロディ化しているということです。

尾瀬路迂(おせみちゆき)───オセロ
葦阿胡右(いくまひさあき)───イヤゴー
枷市和友(かまちかずとも)───キャシオー

この著者の遊び精神に大いに敬意を感じます。(1993.04.30)

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