11011305 1992年に書いていた文です。私の亡くなった友人堀雅裕さんのことを思い出している中で、この文章を見つけました。

 7月8日(水)に飲んでいたとき、店としては2軒目だった。1軒目では、近江俊郎追悼とか称して「湯の町エレジー」とあと一つ唄い、さらに「山小屋の灯火」を唄おうとしたりして騒いでいた。飲んでいたのは谷中の「双葉」という店。次に西日暮里の「きゃらめる」。一緒に飲んでた激辛庵(堀雅裕さんのハンドル名)さんが昔プロの歌手だったから、またここでも圧倒的にふたりで唄っていた。 そうしたら、だれか若いひとがステージへでて唄った。私はその歌を聴いたときに「うんこれはいいな」と思った。なんだか魂に寂しく迫ってくる感じで、思わず彼のところいって、いい歌ですねと誉めてしまった。
 ママにきいたら、尾崎豊の歌だという。
 それで翌々日、またあの歌を今度は本当の尾崎豊で聴いてみたいと思った。それでCDをさがしたのだが、いっぱいあって、どれがこの間の歌だか分からない。それで本屋にいって彼の関係の本で歌詞で当ってみることにした。
 そうしたら、なんと神保町三省堂には彼の関連の本が13種類もおいてあった。何冊か見てみて、この本を買った。

書 名 尾崎豊 Say good-by to the sky way
著 者 尾崎豊+尾崎康+大楽光太郎+吉岡秀隆+アイソトープ+エッジ・オブ・ストリート
発行所 リム出版

 それで、その中の歌詞でさがしてみると、その歌は「卒業」という曲だった。それですぐにその曲の入っているCDを買った。それで本を読みながら、事務所のCDで聴いてみた。……おもわず涙がこぼれた。

   卒業
 校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
 幻とリアルな気持 感じていた
 チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
 何に従い 従うべきか考えていた
 ざわめく心 今 俺にあるものは
 意味なく思えて とまどっていた

 放課後 街ふらつき 俺達は風の中
 孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
 笑い声とため息の飽和した店で
 ピンボールのハイスコアー 競いあった
 退屈な心 刺激さえあれば
 何でも大げさにしゃべり続けた

 行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
 信じられぬ大人との争いの中で
 許しあい いったい何 解りあえただろう
 うんざりしながら それも過ごした
 ひとつだけ 解ってたこと
 この支配からの 卒業
    (以下略)

 それで彼のCD聴きながら仕事していた。夕方になって、友人が尋ねてきて、「なんだこの曲は、周さんらしくない」とかいいながら、実は彼もきのう飲み屋で尾崎豊のビデオ見て、「こんなにまじめでいいとは思わなかった」と感じたそうだ。
 まあそのあとは、もっと何人かで飲み会。
 でも尾崎豊いいですよ。なんか生前に知らなかったことがたいへん悔やまれる。知ったばかりだから、しばらくはいろいろ彼の曲聴けるだけ聴いてみよう。
 だけど彼が亡くなったときにマスコミでいわれた、「10代の教祖の死」だとか「反逆児が大人になって、云々」とか「教祖としてのプレッシャーに負けた」とかなんて全然しないじゃないか。もちろんかれのこと若い人が好きになるのは解る気が大いにするけれど。
 この本の中に「共同幻想論」という見出しがあった。でも私は驚かなかった。なんだかそんな気がしていたんだ。彼は吉本(吉本隆明)さんのことよく判ってたんだな。

  彼は吉本隆明の「共同幻想論」が好きだった。
  人と人がとが交じり合い、どこまで人間らしくコミュ
 ニケートできるか、という刺激的なテーマに魅かれた。
  だが、彼はある意味では冷めていた。
 「吉本さんが『共同幻想論』を書いた時、もうその思
 想は打ち砕かれている。表現するということはそうい
 うことなんだ。できないものだから叫びたくなる」といった。
  だが、そして、やはり、彼は優しかった。
 「でも、それを表現すること自体が吉本さんの優しさ
 なんだ。その優しさを見逃してはいけない」
  彼は安易な平和主義者でもなければ、激しいコミュ
 ニストでもなかった。希望を持とうとしていただけだ。
     (彼だけが知っている彼「共同幻想論」)

 今の若者たちのいる場を考えると、とくに中高生たちの場考えると、みんなこの尾崎豊の歌に魅せられるのわかる気がする。たくさんのたくさんの尾崎豊がいるんだと思う。もちろんひとりひとりは尾崎のようなアーティストになるわけではないけれど、みんなこんなふうに、苦しんで反抗して泣いて大人になっていくんだろう。ただそれをこんなにまで美しい詩と曲で表現できたのが、彼だったのだ。(1992.07.13)