2011年01月17日
人生とは何なのか、生きている意味とは何か
前にある若い方に応えたことがあります。彼は、「人生とは何なのか、生きている意味とは何か」というようなことを聞いてきたものでした。
戦前の若者には、必読書というようなものの中に、
阿部次郎「三太郎の日記」
倉田百三「愛と認識との出発」「出家とその弟子」
西田幾太郎「善の研究」
などという本があり、けっこう人生とは何かとか、生きることは何かというようなことが問われていたように思います。
戦後も私たちの年代まではこうした本も読まないと格好つかないななどという雰囲気があり、大学生のときにもけっこうこうした本の内容を友人たちと話した思いがあります。「三太郎の日記」「三太郎の日記補遺」などは、詳しくノート取って読んだのを覚えています。
そうしたこと、人生とは何かとか話すことが今の若者にはなくなってきているようです。その意味では
それで、特に最近よく考えることは、人間の存在、生死、生きがいということなのです。
ということは、まずはいいことだなと思います。
上にあげたような本は、そうした問題をけっこう真面目に考えていける内容をもっていると思います。だが私から言っても、もはやこうした本では現代の若者たちが考えるところとは、かなりすれちがってしまうのかもしれないなということを感じています。
最近では、人間が不完全な存在なのではなくて、宇宙そのものが不完全な存在であることを知りました、それは教育TVでやっていた、埴谷氏の「死霊」の特集を見て、氏がそういった不完全な世界を越えるところに生きる存在を「虚体」であると言っていました。
実は私はこの「死霊」も結局は上にあげたようなものと同列な系統にあると思うようになりました。もしそんな風に位置ずけられることを知ったら、埴谷雄高は非常に嫌がるでしょうが(これは吉本さんが指摘してしまった)、それだけの存在でしかありません。単純に言い切れば、どうでもいい「教養小説」ですね。
「死霊」といえば、「あっは」「ぷぷい」などと叫んで、夜昼眠ることもなく動き回る奇怪な人物(首猛夫という)などがでてくる一見訳の判らない小説です。戦後ずっと書き続けられ、作者の生存中には書き終れないということです。小説の最後は決っていて、最後は釈迦と大雄(ジャイナ教の開祖)の会話で終るといいます。そしてまたそのあとに、なんだか虫の会話が出てくるといいます。それがなんだか宇宙の何だかを象徴しているとかいいます。私たちが学生のときも、誰もが「『死霊』……」といってうつむいてしまうような存在でした。ただただ難解なんだよなという小説です。
私にはどうみても、文壇では埴谷よりは大物と思われる北杜夫すら、埴谷のことをただただ「すごい人だ」と恐れているようなところがあります。埴谷は北と同じ福島生まれで、北には同郷の親しみがありながら、埴谷は本名が「般若」といい、そのことだけで怖いだろうというような記述があります。そしてただただ難解な「死霊」という小説を書いているというんですね。
でも、もうそんなことないよというのが私の思うところです。私が大学6年のときに、ある後輩とこの小説の話をしていて、
私「あの小説はさ、4人でてくるじゃない(といって名前をあげ
る)。あれは実はみんな兄弟なんだよ」
相手「え、どうして?」
私「あの兄弟は、ドストエフースキー『カラマーゾフ兄弟』がモデ
ルなんだよ」
相手「え?」
私「ほら、カラマーゾフ兄弟というと、ドミィトリイ、イワン、ア
リョーシャだろう」
相手「うんうん?」
私「それにもう一人、スメルジャコフがいるじゃないか」
このときの相手は、そのとき「それはないよ」と言って、大声で埴谷雄高に怒っていました。あんまり難解な小説でもないんですよ。
私には、藤村操(17歳で華厳の滝に身を投げてしまった)の遺書「巌頭の感」、
悠々たるかな天上、稜々たるかな古今……人生、曰く「不可解」
から少しも前に進んでいないような小説という印象しか持ち合わせません。
埴谷が戦前の共産主義運動の中で、拘置所の独房の中でカントの哲学に目覚めるわけですが、もう今の私にはすべて眉唾ものです。もうどうだっていい。私は以前にも少し埴谷雄高をけなしました。
周の書評 宗田理「ぼくらの七日間戦争」
いやはや、映画「ぼくらの七日間戦争」のなかでだって、宮沢りえだって、「ユーモラスで、しかもまた、ちゃんちゃらおかしいしいとも思われる」ことやってたではないか。闘いの実際の現場ってのはそうなのですよ。結局あなたは革命家面しているだけで、あの元気なこどもたちほども闘いの現場が分かっていないのですよ。これだから、また最後の最後まであいも変わらず馬鹿なことばかり言い出していたのでしょう。
まさしく「死霊」にはこのことを、詳しく指摘できると思います。たぶん埴谷雄高は観念の中の革命家は大いに結構なのだろうが、「ぼくらの七日間戦争」のようなこどもたちがでてきたら、闘い方が駄目だとか、甘いとか、1917年にはこんなことあったとか、あれじゃ全共闘のまねだとか、どうでもいいことテレビのこっち側でいうんでしょうね。
埴谷の描く世界、そして宇宙はけっこう薄っぺらなものだと思います。私にはそうじゃないよと言っていきたいと思うのです。吉本さんがもう埴谷雄高の世界よりも、子どもを抱く保母の方をとるというようなことをどこかで述べられていましたが、私も同じ思いです。
同様なことを以下でも思うのです。
自分の意志でこの世に生まれてきたわけでもないのに、自分の人生を生きるのは自分で無ければならないという矛盾。そして尚、自分が世界を認識すると同時に、自分が世界から消滅つまり死する存在であることに否応なしに気づかされるわけです・・・こんな悲劇があるでしょうか?
サラリーマンとして終身雇用でで人生を終わって本当にいいのか?僕が人生の終わりに近づき、後悔したとき、それが誤りだったと気が尽きたとき、どうするのか?
現在未来の世界がはたして「サラリーマンとして終身雇用」で人生を終れるものなのかは判りません。おそらくそうはならないでしょう。実をいえば、そんな世界は過去にもなかったのだと思います。もうそんな形で人生を過ごせるものならば、それはそれでいいことだろうと私は思いますが、そんな人生を歩めた人はまずいないだろうなと思います。
私は何度か書いてきたことですが、「人生は1度きりなのだから、若い今こそ好きなことをしたい、いやするべきだ」というような考えを好みません。私は仕事上でクライアントの若い社員などから相談があると、かならずこのことをいいます(たいがい会社をやめたいというようなときに話がある、若い女性だと、会社やめて、まだ若い今こそ海外留学しておきたい、なんてのが多い)。私は必ず彼彼女の両親のことを聞きます。そうすると、両親のようにただ決まり切った人生を送りたくないなどという彼彼女が多いのです。
私は社会に出て、どこか一つか二つの会社に就職して、そのまま淡々と人生を送れるのなら、そうした生き方が一番いいのだと思います。そうした生き方が楽でもなんでもなく、実はむしろそうしたことのほうが非常に大変な道なのだということに、多分社会に出られると判ってくると思います。おそらく、自分からみて一見非常に単調な人生を送ってきているように見える自分の両親も、その実大変な人生を送ってきたことにきずかれるはずです。そうしたことにきずかれてはじめて、人生とは何かなどということに何かがつかめてくるように思います。
私は毎日鞄を下げて満員電車に乗って、会社へ行って、帰りに仲間と赤ちょうちんへいって、上司の悪口や野球の話をしているようなサラリーマンが好きです。そうした存在を一番尊敬しています。飲み屋のカウンターのとなりに、席の向い側にいるそうしたサラリーマンには、きっと一見単純に見えて、それぞれに複雑でどういったらいいか判らないほどの人生をみな抱えているのです。 私の父もそうでした。でも父や母にはあの戦争がありました。ちょうど満員電車で黙って会社へ行くように、私の父も、黙って、ただただタイやビルマの野を鉄砲背嚢担いで歩いていたに違いありません。
私にはこうした存在が、こうした満員電車の中のひとりひとりが、赤ちょうちんで飲んでいるひとりひとりが、それこそ珠玉のような存在に思えてきます。宇宙の不合理を説く埴谷よりも、ずっと素晴らしい存在なのです。
政治をやる人間(体制反体制、あるいは左翼右翼も)も、哲学宗教を説く人間も、こうした大衆の存在を単なるマスとしてしかとらえてきませんでした。そしてたえずそうした存在はつまらないもので、もっと高邁な存在になれと言ってきました。しかし私にいわせれば、話は逆で、そうしたことしか思えない連中こそつまらない存在です。
「人生不可解」といった藤村操は、ただそれだけで満足しているようです。だができたら、自殺しないで、焼鳥屋のカウンターでこうした大衆と話すことができたのなら(もっとも彼の時代は明治のときだから、そうはいかないが)、もうすこし人生を違う形でみて、違う哲学の世界が判ってきたろうと思うのです。(1995.05.04)

















































































