2011年01月17日

山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』

11011609 随分昔のことになりますが、強烈な二日酔が夕方になってもさめないまま、何人もの友人や初対面の人たちと飲みはじめたことがあります。私はこうしたことは実はいつものことでもあるのですが。そこでどういうわけか戦争文学の話になってしまいました。
  最初は大岡昇平「俘虜記」「野火」の話です。私は当時吉本-埴谷論争のため大岡昇平には非常に不愉快に思っていたこともあり、「俘虜記」のあのシーン、銃の照準で白人兵をとらえたとき結局銃をぶっはなさなかったというのに猛烈に異議をとなえました。あの兵が大岡昇平ではなく私たちのような普通の庶民だったら躊躇なく引き金をひいていたのではないか。そしてそれのほうがあたりまえだ。したがってあんな小説は戦争の実体をとらえてはいないのだ。

  そして誰かが日本にはまともな戦争文学というのはないのではないか、あれだけの戦争をやってまっとうに文学で描いていないのではないかというのに対して、段々二日酔も醒めてきて、本格的なその日の酔いになり激しく反論しました。第1次大戦後のフランスのドレフィス事件やロシア文学でのショーロホフ「静かなドン」からソルジェニーツィンの話のあと、では日本はどうなのかという話です。
 私は五味川純平「戦争と人間」、大西巨人「神聖喜劇」、島尾敏雄の数々の作品をあげました。そして、山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」も立派に戦争をとらえていると主張しました。
 その山口瞳のこの小説のお話です。

書 名 江分利満氏の優雅な生活
著 者 山口瞳
発行所 新潮文庫

 三島由紀夫はこの小説を絶賛していました。同じ戦中派としての共感もあったようです。それに対して、山口瞳はどうもありがたくないという対応だったと思います。だが、山口瞳からいわせれば、ゲートルをうまくまけないでビンタはられていた自分と、東大出の秀才とが同じ戦中派であるなんて信じられなかったのだと思います。
 あるとき羽田空港で若いひとたちに囲まれている三島を山口瞳がみて、なんだか三島の回りはボーッと明るかったそうです。あんな華やかな人間が同じ戦中派であるわけないということのようです。山口瞳のひがみでもあるのでしょう。そして三島は、そんな山口瞳に対して、「いやいや、俺だってあなたたちの仲間なんだよ」と気弱にいっている気がします。

 さてこの小説は、大正十五年生まれで、現在東西電機(本当はサントリー寿屋なのでしょうけれど)に勤める江分利満(実は作者)のごく普通の日常が書いてあります。「ごく普通の日常」といったって、私たちはそれが毎日毎日たくさんの大変なできごとの積み重ねであることを知っています。江分利にとっても、戦後どうにかやってきた自分は大変なことをごくあたりまえにやってきたという自負があると思います。
 江分利は面白いんですね。大酒飲みで、人にからんで喧嘩ばっかりしている。妻のノイローゼも息子の喘息も、親父の借金も本当にたいへんなことばかり。

  東西電機の赤羽常務が江分利にきく。
 「江分利。お前、兄さんどうしてる?」
 「ええ。まあ、なんとかやっているようです」
 「へええ。奥さんの病気は?」
 「おかげさまで。まあまあですね」
 「ふうん。坊やの喘息は?」
 「咳は出ますが、まあいいようですね」
 「あ、そうや、お父さん退院したそうじゃないか。どんなふうや?」
 「ええ、まあ、ぶらぶら……」
  常務はついに癇癪を起こす。
 「なんや!お前の言っていることは、ちっとも訳わからんやないか!」
  そんなこといったって仕方ないじゃないですか。これが現状なん
 ですから。

  マンモス企業のマンモスビルの社員食堂にカレーライスを食べよ
 うと思って、つらなる長い長いバカバカしい列にいる三五歳の中堅
 社員、典型的なホワイトカラー、そんなものはどこにも存在しない。
 そんなものは、どっかの社会心理研究所の調査にまかせればよい。
 マス・ソサイアティのなかのひとり、とは江分利も思っていない。
 「あなたは通勤の満員電車の中でどんなこと考えていますか?」
 「はい、何も考えておりません」「あなたの就職の動機は?」「ま
 あ、なんとなく」
 「あなたは今の職場に満足していますか?」「ええ、満足していま
 す」
 「将来、何になりたいですか?」
 「大過なくつとめたいと思います。みんなのために」「あなたの尊
 敬する人物は?」「さあ、ちょっとおもいあたりませんね」

 江分利はカルピスが恥ずかしい。神宮の野球場も恥ずかしい。文学座も、築地小劇場の食堂のカレーライスも、N響も恥ずかしい。何故なのか。

  昭和のはじめにあって、昭和のはじめに威勢がよくって、それが
 ずっと十年代から戦後のいまでも威勢がいいような、そういうもの
 がはずかしいんじゃないかね。

 江分利はある日曜日妻と息子ととある公園にいく。江分利は当然二日酔いだが、角瓶をもっていく。それを飲みながら、だんだん思い出してくるのです。

  江分利の前に白髪の老人の像が浮かびあがってくる。温顔。どう
 してもこれは白髪でなくてはいけない。禿頭ではダメだ。禿頭はお
 人よし。神宮球場の若者たちは、まあいい。戦争も仕方ない。すん
 でしまったことだ。避けられなかった運命のように思う。しかし、
 白髪の老人は許さんぞ。美しい言葉で、若者たちを誘惑した彼奴は
 ゆるさないぞ。神宮球場も若者の半数は死んでしまった。テレビジョ
 ンもステレオも知らないで死んでしまった。「かっせ、かっせ、ゴォ
 ゴォゴォ」なんてやっているうちに戦争にかりだされてしまった。
 「右手に帽子を高くゥ」とやっているうちはまだよかったが「歩調ォ
 とれェ、軍歌はじめェ、戦陣訓の歌ァ、一、二、三……やまァとお
 のことうまれてはァ」となるといけない。
  野球ばかりやっていた奴、ダメな奴。応援ばかりしていた奴。な
 まけ者。これは仕方がない。
  しかし、ずるい奴、スマートな奴、スマート・ガイ、抜け目のな
 い奴、美しい言葉で若者を吊った奴、美しい言葉で若者を誘惑する
 ことで金を儲けた奴、それで生活していた奴。すばしこい奴。クレ
 バー・ボーイ。heartのない奴。heartということがわからない奴。
 これは許さないよ。みんなが許しても俺は許さないよ、俺の心のな
 かで許さないよ。

 江分利は思い出す。ウィスキーに手がのびる。夏子夫人が「パパも、もう止めなさいよ」という。もうここらへんになると私は涙があふれ、とまらなくなるのです。この「白髪の老人」とは一体誰のことになるのでしょうか。

 三島由紀夫の自刃のときにも、適確に書いていたのは、私は吉本(吉本隆明)さんと、この山口瞳であると思いました。実に執拗に執拗に書いています。
 山口瞳はもう亡くなりました。もう戦中派と言われる人も亡くなっていくんだなと悲しかったものです。彼の著作はほんんど読んでみました。そしてとくにこの小説はいつもいつも読み返しています。(1996.11.01)



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この記事へのコメント

1. Posted by BOB   2011年12月10日 18:58
はじめまして
とても参考になりました
ありがとうございます。

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