私が絶対使わない言葉があります。仕事をするにあたって、その仕事を「できうる限りの努力」でやるというような表現です。これは私が昔学生運動でも労働運動のときでも、決して使いませんでした。また同じような言葉に「一定程度の対応」というのがありました。当時の敵対勢力である日本共産党に対して、

  これだけのことをやって来た以上、こちらも一定程度の対応を
 する

などとアジる先輩たちには、

 「一定程度」なんて、何をやるのかさっぱり判らない。「こうなっ
 た以上ゲバルトで対応する」とかはっきり言え!

というように怒っていたものです。同じくまた「できうる限りの対応」なんていう言葉にも、

  それは、自民党か共産党の答弁だよ。「できうる限り」という
 ことは、でき得ないことはやらないということじゃないか。「何
 があっても絶対やる」というべきだ!

と言っていました。
11012605 これは労働運動のときにもそうでした。私は「無期限ストライキ」ならそれを絶対に完璧に貫徹しました。スト破りは徹底して粉砕しました。「できうる限り」ではなく、「絶対に貫徹」したものです。
 これは仕事でも経営でも同じことだと思うのです。経営者でも、もっときびしい現実に直面しているはずなのに、こうした曖昧な言葉で、なんだか悲愴感を表してしまう人がいます。私はいいます。「それじゃ、昔の自民党の答弁だよ。どんなことがあっても、そのことだけは絶対やると言いきらないと駄目なんだよ」。
 言葉はいったん口からだしてしまうと、周りも自分をも縛ってしまう効力がでてくるものです。だから自信がないから、どうしても曖昧な言葉で自分をもごまかしがちです。「自分ができうる限りの努力をするというのだから」いいじゃないかと、自分をごまかしているのです。
 もうそんなことでやりきれる事態ではないのだから、自分を律するためにも、「絶対にやる」と言いきるべきなのです。(2002.01.07)