11020208 ずいぶん前になりますが、ゴールデン街で、雑誌「歴史読本」と競合するけれど、どうしても勝てない歴史雑誌の記者(彼は今はその雑誌の編集長になっていますが)と話したことがあります。
 ちょうどその雑誌は水戸天狗党の特集の編集整理が終ったところだとのことでした。私が何人かの天狗党をあげたところ、初対面だったのにいろいろ話すことになりました。話は天狗党の話から、何故「歴史読本」には勝てないのかというような話までです。私歴史の雑誌はときどきいろいろ読んでいますから、ひととおりの意見はあるのですね。

 それで話していくうちに、私は「こういう考え、編集方針だと『歴史読本』には勝てないよな」と思ったものですから、また余計なことですが、いらぬことを言い出しました。まったく余計なお世話です。

 私 いや、そうするとあなたは宮本武蔵はいなかったと思ってい
  るのじゃないですか。
 相手 当り前です。
 私 ええ!(と大いに驚く)、…………では赤穂浪士が討入の前
  の日、堀部安衛兵と丹下左膳が闘ったというのどうなんですか
  (註これは五味康佑の小説の話)。
 相手 丹下左膳なんて、架空の人物です。
 私 えっ(また大いに驚く)、…………ではあなたは、義経が成
  吉思汗になったなんて、全く信じていないんでしょうね。
 相手 当り前です(とあきれはてている)。

 宮本武蔵と丹下左膳の話のときも、私はその根拠みたいなもの少しずつ反論しています。そしてまたこの「成吉思汗は義経なり」で、さまざま総反論。
 私ときどきこういう問答をよくやるのですが、私が本当にいいたいのは、「歴史読本」にどうしても勝てないというのなら、同じことやるのではなく、視点を変えたらということなのです。「五輪書」を書いた野人武蔵と、恋もしてしまう吉川英治武蔵の違いはなにか、何故日本人は吉川英治の武蔵を好きなのか、私たちは絵を書いたり書物も書いている実在の武蔵を、吉川英治の武蔵の側からみている、それはどういう心情なのかなどということの分析をしていったほうが面白いのではと思ったのです。

 さてそこで本題です。

書 名 成吉思汗の秘密
著 者 高木彬光
発行所 角川文庫

 この本は、過去「成吉思汗は義経なり」といわれてきたことの集大成を小説の形で展開しています。この説の根拠とされるさまざまな資料も、この小説で全て網羅されています。義経伝説での少しでも大陸に関係ありそうなものや、清の乾隆帝が記したとされる

  朕の姓は源、義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清
 と号す。

という書物も当然紹介されます。またたくさんの根拠といわれるものへの反論もくわしく展開されているわけです。作者としても、読者としても「成吉思汗は義経なり」なのかどうか結論を出すことができません。

 本来この小説はここまでだったのでしょう。事実雑誌「宝石」に掲載されたときには、ここまででした。しかし単行本にされたとき、最後に「成吉思汗という名の秘密」という章が加わります。これが圧巻なんですね。この章のできごとは本当にあった話ということです。
「成吉思汗の秘密」を雑誌で読んだ読者が、作者を尋ねてきます。しかも大変な謎解きの案を持って。誰もこの章であっと思うはずです。この読者はそののち小説も発表している実在の女性です。
 少しその内容をばらしてしまいましょうか。「成吉思汗」を漢語として読み下すと、「吉成りて汗を思う」となります。さらに読むと、「吉成りて、水干を思う」。水干とは白拍子の衣装、それでさらに、「吉野山の誓成りて静を思う」と読めるのではないかというのです。吉野山で別れた静御前への呼びかけだというのですね。これは見事です。私はこれですっかり「成吉思汗は義経なり」と信じてしまいました。

 私はどうも源氏というのは実朝除くと、「源氏物語」の光源氏含めてあまり好きになれないんですね。源氏ってのは何故かあまりに暗いんです。実朝だって暗いのですが。その源氏の暗さについていけないのです。もともと代々の天皇が、藤原氏に対抗するためにつくりだした氏だからなのでしょうか。 でもほんとうに義経が成吉思汗になったのなら、義経のことは好きになれそうです。(1998.11.01)