201705150111020511 私が柏市民ネットというパソコン通信の会議室にて友人から薦められた本です。その薦めてくれた友人がその薦める文の中で書かれていた戦後知識人の名前で、私の知っている限りを書いてUPしたのが第1部で、本そのものを読んでから書いたのが第2部としました。ちょうど1994年の11月に書いたものです。また今ならいろいろつけ足したいところもありますが、その当時のままUPします。

(第1部)
  あげられている「知識人」とやらの名前を見ると、とにかく私の嫌いなやつらばかりだなと思いました。分かる限り、すこし書いてみましょうか。

大内兵衛  おもえば岩波文庫の「共産党宣言」を向坂逸郎と一緒に訳していましたね。「空想より科学へ」も彼の訳だ。東大闘争はこうした大内とか向坂のいうことを一番の敵として闘ったものだと私は思っています。一番腹がたつのは、彼が東大安田講堂の攻防戦をテレビでみていて、「これはいいな、いいな」と思って、弾圧側の本富士警察署にケーキを届けようとまで思ったと堂々と言っていることです。こんな奴は絶対に許すわけにはいかない。そういえば息子の大内力もどうしようもない奴ですね。
桑原武夫  進歩派というより私には保守派の方だと思ってきた。大昔「期待される人間像」なんていう馬鹿げたことの論者だったように記憶している。ただスタンダールの翻訳で私はいくつも世話になった気がしている。漢詩の解説なんかもやっているが、これはあまり感心しない。吉川幸次郎に合わせすぎなんじゃないの。どうも京都の学者というのはなんか嫌だね。
小田実    この男はまったくどうしようもなく犯罪的なやつだと思っている。ベ平連をどう総括するのだ。結局ソ連から金もらって、ソ連圏側に有利にしようとしていただけではないのか。ベトナム反戦運動の中にも、「ベトナム戦争反対」という言い方と「ベトナム革命戦争勝利!」という言い方があった。思えば、両方とも間違っていたわけだが、まだ後者(これはブント系が言っていた)の方が正直だ。「戦争に反対」などと言って、その実北ベトナム−ソ連に肩入れしていたのが、かのベ平連の運動だ。そしていまもまた、彼は同じ動きをしている。今はどこから金をもらっているのかな。
本多勝一  この男のことは前にも書いてきた。例えば人は、誰かに殺されるときに、そのそばで自分が殺されるところを詳細に撮影している人間がいたとしたら、その人は、自分を殺す人間と、それをカメラで撮影している人間とどちらがより憎いだろうか。私なら当然カメラで撮影している人間を憎む。私を殺そうとしている人間には必然があるのかもしれない。例えば、ベトナム戦争のときに米軍にも解放戦線にも、南ベトナム政府軍にも、北ベトナム軍にも、相手を殺そうという動機と必然はあった。だが、本多のような奴にすぐそばで撮影描写される必然はないのだ。これだけでこの本多のことはたくさんだろう。ああ、それから「週刊金曜日」とかなんとか、ひでえものだね。
都留重人  この人はリベラルな進歩派経済学者というような気がしている。
家永三郎  教科書訴訟のときになんだかがっかりした思いがある。よくよく考えてくださいよ、なんで訴訟になったのですか………結局彼自身が妥協したからじゃないのですか。もっとも私は彼の「太平洋戦争」は高校生のころ、かなりいろいろと参考になったなとは思っています。
長州一二  この人がいわば「構改派」の典型的経済学者だと思います。構改派といえば日本共産党の中で、イタリア共産党のトリアッチ−グラムシに狂ってしまった人が言い出してきたわけですが、当然社会党にも出てきたわけで、そうした代表的学者だったと思います。大昔埼大の歴史研究会にこの長洲に傾倒してしまっていた同級生がいて、どうにもいろいろといいあったりしたものでした。今会ってそのことでからかうといつも頭掻いていますがね。神奈川県知事になってしまったときには、さすがに驚きましたが、なんだか彼の理論の実践をやっている気かななんて思うところもありますね。
和田春樹  ソ連や東欧の問題というと、この人だけはいまでも平気な顔してテレビ等にしゃしゃり出てきますね。私はこの人がいうことと反対のことを思い浮かべれば多分間違いないだろうと思っています。
石橋政嗣  なんとなく一見真面目でまったく無能な社会党の委員長という感じでした。無能なことが犯罪的なのかな。どうでもいい人ですね。
加藤周一  この人のことは、なんだか好きになれないなという印象しかない。どういう言動がなのだろうと考えても思い出せない。
菊地昌典  大学1年(1967年)のときに、この人が書いた「ロシア革命」(中公新書)を買って読んだ。なかなか感動したものだったが、その後すぐに彼は、この本を絶版にしてしまった。なんでも誰かに何かを指摘されたらしい。その内容に関しては、今もこの本を読んでも分からない。何が問題なのだろうか。ところで彼は全共闘シンパの東大教授(当時は助教授かな)ということになっていた。しかし、私は彼が東大全共闘に批判され、むりやり自己批判され(自己批判し)、デモの先頭にスクラムを組まされてデモしていたのを思い出す。なんで人がいいんだ、なんて質が悪いんだと思ったものだ。吉本(吉本隆明)さんのいうように、「知には知で、暴力には暴力で」対決していたら、あらかた済んでしまったようなものだったのに。
坂本義和  たしか東大闘争のときの法学部の教授だと覚えている。こういう人が日本の講壇民主主義者、講壇マルクス主義者なのね。君たちの導入した機動隊によって、放水ずけになり、催涙弾に狙い撃ちされた私なんか、いつまでも忘れないのよ。オトシマエには時効はありません。
西川潤    進歩的な経済学者かなという印象しかない。だいたいに翻訳本の訳者としてしか知らないものね。
槙枝元文  この人は実際の中学校や小学校の教壇に立ったことがあるのだろうか。もちろん1回や2回はあるのかもしれない。どうせ今社会党政権なのだから、そのうちにこの人を文部大臣にしたらいいのになあ。そうするとなんだか一貫していますよ。それなら誤謬から誤謬へ一貫していますよ。
吉川勇一  この人もベ平連ですね。ただとにかくまともに総括してください。それだけです。
井上清    このおっさんは講座派の典型的な歴史学者ですね。それが毛沢東にいかれてしまって、日共と喧嘩して、どうしてか私たち三派全共闘のほうへ顔を向けるようになってしまった。迷惑なんだよな。まあ、いろいろな歴史の本は、参考にはしていますよ。
岩井章   あんまり知らない。どうせ悪い人でしょう。
いいだもも  この人を構改派と攻撃する気にはなれない。私は「どうせ日本の声でしょう」と言ってしまう。だから「共労党って、日本の声でしょう」。日本の声にも右派と左派があって、このいいだが左派で共産主義労働者党になるのだが、結局はさ、日本の声じゃないのよ。あと、ときどき見かける文章もひとつもよくありません。性格の悪さがにじみでてます。小説も書いているのね。ただの阿呆ですよ。
羽仁五郎  ついに出ました羽仁五郎という感じですね。いいとき死んだね。まあ、学者というより、芸能人でしたね。しかし、私のこの人のアジの 内容の展開の仕方なんかは学んだ気がします。でもとにかく随分でたらめなことをそれこそいっぱい言って死んじゃったものですね。私は大学2年の秋たしか10月頃に、この人の横須賀の自宅へ行ったことあります。右翼の襲撃を恐れてか、厳重な家でしたね。でもやっぱりもうこの人は駄目な人でした、駄目というより、かなりな犯罪性だったと思っています。この人の批判はまたいつか書きたいなと思っています。

  また一気に思うまま書いてしまいました。この紹介された本を読めば、もっといろいろな顔が見えてくるんでしょう。私の勘違いも、明確にただされることでしょう。

(第2部)
書名    「悪魔祓い」の戦後史
        進歩的文化人の言論と責任
著者    稲垣  武
発行所  文藝春秋
1994年8月15日第一刷

  とにかく読みごたえのある内容です。そして最初から最後まで飽かず一気に読み切りました。ちょっと目次をあげてみましょう。

第一章    「ソ連」に憑かれた人々
第二章    「シベリア抑留」擁護論の系譜
第三章    「全面講和論」の魑魅魍魎
第四章    六〇年安保への序曲
第五章    「非武装中立」の妄想
第六章    観念的平和論の末路
第七章    ソ連信仰の変容
第八章    毛沢東の魔術
第九章    文革礼賛の終焉
第一〇章  すばらしき北朝鮮
第一一章  首領サマの経済論争
第一二章  テロ国家の弁護人
第一三章  「金賢姫」を否定した人々
第一四章  ヴェトナム戦争───錯誤の原点
第一五章  従軍ジャーナリストの玉石
第一六章  ベ平連の自家撞着
第一七章  ヴェトナム反戦の日米共辰
第一八章  パリ和平会議の裏切り
第一九章  ヴェトナム解放神話の崩壊
第二〇章  ヴェトナム難民を嗤った人々
第二一章  中越戦争勃発に惑乱する文化人
第二二章  教科書を蝕む「革命史観」
第二三章  家永裁判とは何だったのか
第二四章  全共闘に唱和した大学教授

  文藝春秋の「諸君」に長期連載されていたものに加筆したものです。戦後日本のいわゆる進歩的知識人や各マスコミの数々の妄言を検証批判しています。

    九一年末のソ連崩壊で、戦後長らく論壇を支配していた進歩的
  文化人も、遂に引導を渡され、ソ連の道連となって歴史の舞台か
  ら退場した。しかしこの検証と論考は、いまさら彼等の言説の非
  や錯誤をあげつらうのが目的ではない。彼等の現実の推移から遊
  離した思考がどこから由来し、どこにその歪みの原因があるのか
  を追及しようと試みたものである。
  ………………………………
    もちろん、進歩的文化人らの過去の言説に対する批判が、単な
  る「歴史の後知恵」であっては無意味だろう。そこで私はできる
  だけ、その言説がなされた時点でもこれこれのデータや情報が入
  手可能だったにも拘らず、彼等の言説がなぜ錯誤し歪められたか
  という考察をしたつもりである。それが過去を批判する者の義務
  であろう。(「はしがき」)

  この姿勢で実に丁寧に資料を正確にさぐりあて、彼等進歩的知識人の誤謬と犯罪性を明らかにしています。ここまで自らに言説を検証されてしまっては、彼等はどう反論できるのかなと興味深いのですが、多分間違いなく彼等はすべて何もなかったかのようにこの著者のこの論考については抹殺した姿勢をとるでしょう。それがいわば、彼等の最後まで一貫した破廉恥性と犯罪性なのだと思います。
  人は誰でも過ちを犯してしまうものでしょう。たとえその時点で、もっとあたりまえの情報を得ていながらも、どうしてか間違いを述べてしまうこともあるのかもしれない。だがもしそうならば、あとで反省していただきたいのです。

  例えば、この著書でも4度とりあげられている元早稲田大学教授新島淳良ですが、彼は当初は愛国心教育を熱心に唱えていた(愛国心とは反米愛国のこと、当時は彼は日本共産党員であり、その後すぐに中国派になる)。そして文化大革命の礼賛者になっていた。だが毛沢東に失望したのか、72年末に早大をやめ、突如としてヤマギシ会に入ってしまった。現在もヤマギシズムを信奉しているのかどうか知らないが、今は過去の自分が文革や中共を礼賛していたことを充分反省して論文を書いているように私には思える。彼のやったことは忘れてならない犯罪的なことだったかもしれないが、あのように今反省している(反省しているように私には思える)のなら、私は他の破廉恥な幾多の知識人よりはましなように思えるのです。
  私は新島がまだ中国派ML派のころでも、彼の「魯迅」の講義だけは好きだったから早稲田の授業にもぐり込んで聞いていました。それから実は、直接会って話したこともあります。私は彼が話したがる「入管」の問題とか「民族差別」の問題などよりも、より魯迅の話ばかり聞くようにしたものでした。それが又随分年月がたって、大阪のある街を歩いていたときに、ヤマギシ会の宣伝カーの上で演説している彼を見ました。なんだか悲しくなりましたが、毛沢東よりはまだヤマギシ会の鶏飼っているほうがましかななんて思ったものです。
  しかし私が読んだ限りでは、この著作で扱われている知識人のうち、新島以外ではまずまともに自らの言説を反省表明している人間は皆無だと思われます。

  私にとっては、この著書で扱われている進歩的知識人は、ほぼ私がもともと「こいつは嫌などうしようもない、いわば俺たちの敵だな」という連中ばかりなのですが、それの大きな確認になりました。また各マスコミ人、例えば雑誌「世界」などの編集者の名前などまでは知りませんでしたから、おおいにいろいろと参考になりました。
  ただ私は学生のときから、三派系全共闘系過激派でしたから、せいぜい「朝日ジャーナル」を何度か買ったくらいで、「世界」だのというのは手にしたこともありません。あんな雑誌はとにかく私たちの敵が執筆している雑誌だとばかり思い込んでいたものです。ここらのところが、この著者と私たちとには感じ方に少し差があることかもしれないと思うところです。
  例えば、私にとって丸山真男は、「日本の思想」「現代政治の思想と行動」「日本政治思想史研究」といういわば3部作があるわけですが、「日本の思想」を読んだときの衝撃(内容に感動しました)はさておき、「現代政治の思想と行動」では、もはやこの人は私たちとは無関係な人だとすぐに思ったものでした。だから、東大闘争での彼の言説なんか当然の敵としての言い分でしかありません。でも私たちより上の年代だと丸山というのは違う存在なのかもしれません。
  この著書ではほとんどうなずいて読んでいるところばかりだったのですが、唯一「違うよ、何言っているんだ」というところが、「第二四章  全共闘に唱和した大学教授」のところです。このことだけは述べておきたいと思います。

  ここで扱われている知識人は、和田春樹、折原浩、菊地昌典(三人とも東大の全共闘支持派の教授、助教授)、その他小田実、羽仁五郎、丸山真男(丸山のことはM教授となっていて、全共闘の支持派とは書いてはいない、あたりまえだよ)等々です。だが言っておきたいのですが、私たちは彼等に支持されたからあの闘いをやったわけでもなく、また彼等のいうことをあの当時もいいと思ったことはありません。私たちのやっていたことを彼等がどう解釈しようと、それは私たちの知ったことではありません。
  ただ私はこの著者にいいたいのは、せっかくほかのところであれだけ真摯に詳細に資料にあたるのなら、私たちの闘いのことでも同じ姿勢でやらないと、恰好つかないんじゃないのということです。
  以前私が、佐々淳行「東大落城」で紹介した内容をそのまま信じてしまっているところがあります。私も佐々のこの文はけっして嫌いではありません。だが平気で嘘を書いています。そこを見抜けないものなのですね。

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書 名 東大落城
著 者 佐々淳行
発行所 文芸春秋
1993年1月25日第一刷

ただこの本は、私たちを攻撃してきた側の人間が書いているわけですが、それほど読んでいて不愉快にもなりません。でも事実は書いておいたほうがいいでしょう。いくつも書く気にはなりませんが。ガス銃の水平撃ちに関してです。

照準器も施錠もない滑腔・先込め催涙ガス銃では、当てようと
思っても当たるものではない。何千発と発射されたうちの一発が
たまたま顔に当たったもので、

よくまあ、こんな嘘が書けるものだ。私は屋上で何発か身体にくらっている。最後に逮捕されるときには、目の前1メートルくらいのところから発射した機動隊がいた。ちょうど私の隣にいた学生の右手にあたった。彼とは同じ留置場だったが、中指の骨がつながってなかったといっていた。 (以上は私の書評の一部です。)
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  それから、著者の以下のくだりにはかなりな怒りを覚えました。

    最大のジョークは六八年一一月末、緊迫した東大構内に来てキャ
ラメルを占拠学生に配って歩いた、東大生の母親という「キャラ
メル・ママ」の出現だろう。
  (中略)
  父性的な厳しさが全く欠落したマミー文化にどっぷり浸かって育っ
た子どもは、ゲバ棒を握っても心のどこかに自分が破壊しようと
した社会に対する甘えがある。そこには大人が持つべき自己責任
の観念はない。考えてみれば、他者に対する過度な攻撃性と過度
の自己愛は幼児性の表象だから、キャラメル・ママこそ、その場
にふさわしかったのかもしれない。

  何を言っているの、冗談じゃないというところです。本来なら私たちについての世代論から展開したい(これは私がよくやっているのですが)ところですが、ここでは別なことを言っておきたいと思いました。
  私の母から私が東大闘争で保釈になってから聞いたことなのです。新聞に私の母たちが「息子の長期拘留は不当だ」と訴えにいったことに対して、

キャラメル・ママ転じて息子を帰せとの母になる(実は私はう
ろ覚えです)

と揶揄されたことにたいして非常に怒っていたのです。さも子どもを甘やかし、暴れて捕まると、早く釈放せよと無理をいう母親像というように書かれたらしいのです。私たちの母親と父親たちは、私たちの東大闘争被告団の統一公判の要求と、私たちの身柄の即時釈放を要求に裁判所に行ったのです。裁判所はその要求に逃げるばかりでまともに答えようとはしなかったのです。母も父も私の担当の裁判官に何度か会ってそれらのことを強く要求していますが、私の担当の小野裁判官は「もう帰らなくちゃ」と走って逃げるばかりだったのです。私は大学生になって母から味噌醤油のたぐいはもらったことはありますが、キャラメルは一度もありません。キャラメル・ママなんて単なる馬鹿じゃないのですか。私たちの母親とは関係ありません。

  このとこくらいが違和感をもっただけで、あとはけっこういい感じで読んでいけた本です。あとひとついうとすると、吉本(吉本隆明)さんのことをひとつくらいけなしているかなと思ったのですが、ただの一つもありません。これはさすが、この著者もよく吉本さんを読み込んでいるなと思わせたところです。私たちの三派全共闘の時代のアジビラやタテカンに書かれている表現は、実に吉本さんからの引用した字句が多かったのです。実にあの時代の情況を表すのにぴったりだったのです。だが、吉本さんは私たちの運動を支持したり、煽動したりしたことは一度もありませんでした。いや逆に、堂々と「昼寝のすすめ」をしたり、羽田闘争に対しては「無知が栄えた例(ためし)はない」といったりしたほうです。今になっても、私たちの学園闘争を、学園紛争としてしか呼んでくれません(私はこれだけは闘争と呼んでほしいんだけどな)。でもそうした吉本さんを全共闘の支持知識人としてしか理解していない阿呆どもはたくさんいるわけですが、さすがこの著者はよく分かっているようです。
  これは一番よかったなと思ったところでした。(1994.11.01)

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