11021010 私の生まれたのが1948年5月30日。同じ誕生日に詩人ダンテがいます。ダンテは1265年イタリアのフレンツェに生まれました。ダンテといえば、勿論『神曲』が思い浮かぶわけですが、ここではもうひとつの作品を紹介します。

書 名 新生
著 者 ダンテ
訳 者 山川丙三郎
発行所 岩波文庫

 この作品はダンテの初恋の少女ベアトリーチェへの愛の詩集です。ベアトリーチェはダンテにとって永遠の女性でした。「神曲」において、ウェルギリウスと共に地獄界、浄罪界をめぐるダンテはベアトリーチェによって、天堂界へ導かれます。そこではベアトリーチェは聖母マリアとならんでいる存在です。 このベアトリーチェに現実の世界でどのように会ったのかが、「新生」で描かれています。

  私の心の中の栄光の淑女が始めてわが目に現れたのは、私が生
 まれてこのかた、光の天が、その固有の回転から言って、はや九
 度殆ど同一の天に帰った時のことである。彼女はその呼び方を知
 らぬ多くの人々にもベアトリーチェと呼ばれていた。彼女が世に
 出でてよりこの時にいたるまでの間に、衆星の天は東方に向つて
 一度の十二分の一動いていた。それゆえ彼女は九歳の始めのころ
 頃私にあらはれ、私は九歳の終りの頃彼女を見たのである。現れ
 たとき彼女は紅というけだかい、しとやかな、落ちついた色の衣
 を着、そのいと稚ない齢に相適しいやうな帯をし、飾をつけてい
 た。げにこの刹那、心の最奥の室に住む生命の霊は、極めて小さ
 な脈々にさえ恐ろしく顕れるほど強くふるひ始め、そしてふるひ
 ながら言った、「視よ、我よりも強き神の、われを従えへんとて
 来れるを」と。

 初恋とは誰にとっても強烈な思いを与えるものだと思います。とくにそれを深く意味ずけて忘れないときに、詩が生まれ、文学が生まれるのかもしれません。ダンテは9歳の時始めてベアトリーチェに会い、それから9年たったとき再会します。ダンテにはこの「9」という数字が大事な意味を持ってきます。

  多くの日数立ち、このいと貴い婦人が前記の如く現れてから丁
 度九年が終るといふその最後の日の事、この妙なる婦人は、純白
 の衣を着、二人の年長な貴婦人の中で私に現れた。(中略)
  私が彼女のいとなつかしい会釈を受けた時刻は、たしかにその
 日の第九時であった。

 そのほか第29章ではくどいほど9のことを述べます。9は神秘的な数で、そのもとは3×3で、その3は三位一体の3とされるのです。ダンテにとって、ベアトリーチェは、

  彼女は死すべき人の女(むすめ)とも見えず、神の女とみえる

という存在なのです。いくつものソネットを歌ったあとダンテはこう述べます。「新生」の最後の章です。

  このソネットの後、一の不思議な現象が私に現れた。そしてそ
 のうちに数々の物を見たので、私は、この幸な婦人のことをこの
 上歌はずに、私がもつと相適しく彼女のことを述べうる時まで待
 たうと思ひ定めた。

 こうして、彼はしばらく筆を折ります。そして、この永遠の女性を描けるのだと自信をもった時、彼は「神曲」を書き始めたといえるでしょう。

 ゲーテのようにたくさんの愛と恋人をもった詩人には「恋愛」そのものが自らの創作の対象であったと思います。だがダンテには恋愛ではなく、ただただベアトリーチェそのひとのために「神曲」まで至ることになります。

 この「新生」のなかで、私の好きなソネットをひとつ紹介します。第8章の第3ソネットです。ただし、この文庫本の訳ではなく、上田敏『海潮音拾遺』からです。

   泣けよ恋人
 泣けよ、恋人、神の身の「愛」の君だに、
 愁嘆のいはれを識りて泣き入りぬ。
 「愛」は悲み堪へ難く、いらつめたちの
 雙眼に溢るる涙、眺めたり。

 忌々(ゆゆ)しき「死(しに)」の大君は貴(あて)なる人も
 憚らず、さすがに徳を避けたれど、
 なべての人が、たをやめの誉といふもの、
 めぐしくも、こぼちたるこそ無残なれ。

 聞けよ、諸人(もろびと)、「愛」は今、このたをやめを
 褒めたたふ。見ようつそ身み現れて、
  眠れる如きかんばせの上にあらずや。

  折ふしは天頂(てんちょう)高くうちあふぎ、
 かくて貴なる魂のゆくへや求(と)むる、
 塵の世の濁に染まるたましひの。

 しかしこうして久しぶりにダンテとつきあってみると、私の中学生のころ思い出します。私も初恋といえるものは、9歳の時だったのですが、ダンテを中学生のとき知って、その恋の意味をいろいろと考えたものです。今のように毎日酒飲んで馬鹿いっている自分とは随分と違う存在であったものです。(1995.11.01)

 私がこの本を読んだのは、中学3年の秋でした。私の弟が手術をするというので、入院し、そのお見舞いに行ったときに、この文庫本を手にしていたものでした。この本を手に入れた古書店も実によく覚えています。
 私が入院した弟のところに全然見舞いに行かないので、弟が会いたがっていると母が教えてくれたものでした。実はもう亡くなってしまった母に今になって言い訳をするわけですが、実は私が弟が手術するのが心配で心配で、でもそれを素直に表せなかったのですね。羞かしいことです。
 でもそのあと弟は元気な少年になって行きました。
 このときに、その医院でも弟とぼさぼさ話した思い出と、この作品は重なっています。
 私が『神曲』を読むのは、そのあと高校2年のときでした。『神曲』の最後に少女ベアトリーチェがダンテを天上に導くのですが、それが私には実に納得できたものでした。私には、誰でもきっと初恋というものは、こんな思出につながるのだと思ったものなのです。(2009.12.22)