201810220111031611書名  私の昭和史
著者  末松太平
発行所 みずず書房

数年前にこの著者は亡くなりました。私がちょうどこの本を読み始めたばかりの時でした。ちょうど、渋谷旧代々木練兵場あとの悲母観音(2.26事件全殉難物故者慰霊像)にある名刺入れに名刺を入れたばかりのときだったので、またなんだか悲しかったものです。

2・26について書かれたもの、そして北一輝についての著作はかなり読んだつもりです。しかし当事者が書いたものは読んだことがありませんでした。この著者は、2・26事件の起動力であった青年将校グループの中心人物でした。2・26には直接は関与してはいませんが、事件で逮捕され禁固4年の判決を受け、軍から追放されます。
この本では末松氏自らの体験のみを控え目に述べています。かなり活字としてのみ知っていた青年将校たちがたくさん出てきます。ただ著者の出会った人物のみを描いていますから、それがまた他の著書とは違う印象を与えます。出てくる人物の中で、現在今も、政治の世界の裏で活躍している人物の名を見いだしたときはかなり驚きました。
私はやはり、この昭和維新の運動をやったいわゆる青年将校グループは誠実で良心的であったと思います。むしろこの人たちを葬り、ただひたすらファシズムへの道を歩んだ軍部の連中こそ許しがたいと思います。
私は昔から、石原莞爾とか辻政信が大嫌いでした。その嫌いな理由がこの著書でまた確認できたように思います。以下は三角友幾という人が、辻政信の「亜細亜の共感」を読んで、その違和感から、辻に対して書いた抗議文でのごく一部です。三角さんは2・26で処刑された渋川善助氏に兄事した人とのことです。

渋川氏は銃殺される寸前に「国民よ軍を信頼するな」と絶叫し
てたおれたそうです。然り、信頼すべからざる日本の軍だったの
です。事実その軍が翌年には日華事変を惹き起し、次いで大東亜
戦争で祖国をドン底に叩き込んだではありませんか。此の「軍を
信頼するな」という絶叫は「自分たちの志を阻んだ軍だから」と
いう感情的なものでなかったことは、銃殺の前々日、最後の面会
に参ってお話をきいた私ははっきりと知っています。即ち「為政
者が国内問題をゴマかす為に、新しい対外紛争を起す危険の有る
事を」くりかえし心配しておられたからであります。然も事実そ
の通りになって終ったのであります。

2・26で決起した将校たちに「自決せよ、あとはまかせろ」などといい、敗戦後ものうのうと生きていた辻政信をはじめとする軍人たちに、彼らを非難する資格など絶対にない。私は辻政信はラオスにおいてパテトラオに殺されたのではなく、彼のしゃれこうべがラオスの野に今もさらされているとすれば、それはあの2・26に決起した人たちと、その人たちの背後にいる東北をはじめとするたくさんの農民労働者の怨念がさせたと思っています。
私は今からちょうど20年数年前に後輩の活動家のおとうさんと飲んだとき、そのおとうさんが私のさまざまな話に感激し、やにはに書棚から辻政信の書いた本を10数冊持ち出してきて、私に「これを読んでくれ」と預けられました。そのとき以来さまざまこの辻正信の本とは格闘してきましたが、どうしても好きになれません。だがそれが何故だか明確に説明できませんでした。だがいまもはやはっきりしました。「私はやはり辻政信は認めない」。
やはりこの青年将校たちの背後には無数の東北をはじめとする悲惨な農民たちの現状がありました。私がたいへんに読むのが辛かったところがありました。以下がその一部です。

戦死者がでて満州から遺骨が還送されると、留守隊では遺族を
招いて、営庭で慰霊祭を行うのだが、それがすんで遺族のなかの
誰かが遺骨を抱いて一歩衛門を出ると、きまってそこで親戚間で
遺骨の争奪戦が、見得も外聞もなくはじまる。そのたびに、それ
を仲裁するのが予期しなかった留守隊将校のつとめとなるのだっ
たが、並大抵の苦労ではない。
これも、もちろん遺骨を祈る名誉のためでなく、遺骨に下がる
金が目あてのものだけに、留守隊に残った将校は、戦地のものが
味わう苦労とちがった苦労をさせられるわけだった。

「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない」という手紙を書いた親もいたとあります。「おれはお前の死んだあとの国から下がる金がほしいのだ」ということです。農村の疲弊はあまりにひどかった。この手紙を受け取った兵は、「希望通り」すぐ戦死したという。
こんな部下をもった青年将校たちが、どうしてもこの世を革命(革命ということばを使うのは磯部浅一だけかもしれないが)したいと思ったのは当然ではないでしょうか。
まだまだ2・26に関してはみていきたいと思います。ただできたら、末松さんには昭和天皇の対処の仕方への感じかたを書いてほしかった。それだけがこころ残りな気がします。

私は虫が知らしたとでもいうのか、このとき不思議にこの「大
臣告示」に不安を感じた。特に第五項の「之れ以上は一つに大御
心に待つ」に不安を感じた。

と書かれているだけです。この不安が的中したのだから、その「大御心」の持主への考えを是非とも述べてほしかったと思うのです。(1998.11.01)

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