11032103 先週の16日の朝、通勤の電車の中で読みながら、この「青玉獅子香炉」の最後では泣いてしまいました。私は、いわばこの物語を今回初めて知りました。今まで思い込んでいた「青玉獅子香炉」の話とは少し違う物語なのだなと、始めて私は判ったのです。
 私がこの物語を知ったのは実に36年前のことでした。
「第69回「青玉獅子香炉」」(私のメルマガに書いたものです)にその思い出を書いています。

 (ここに書いています「青玉獅子香炉」の話は、私の思い出の中
  だけで、原作とは少し違っています。登場人物の二人は夫婦には
  なっていません)

 私は1969年1月18、9日のの東大闘争の安田講堂の闘いで逮捕され、やがて起訴されて、2月後半に府中刑務所に移管されました。ここの拘置所の独房にこの年の8月21日に保釈になるまで勾留されていました。当時私にはとても恋している女性がいました。この彼女が、この府中に接見に来てくれたのは、たしか2月の末だと思いました。3月にも面会に来てくれました。彼女はちょうど3月5日が19歳の誕生日の時でした。
 この3月になって、毎週日曜日の夜聞かせてくれるNHKの「日曜名作座」に、この陳舜臣の「青玉獅子香炉」のラジオドラマがありました。このラジオドラマは、森繁久弥さんと加藤道子さんの二人だけでの朗読のドラマです。二人は、何人もの登場人物の声を替えて、すべてドラマが展開されていきます。刑務所での日曜日は、面会も運動もなく食事もものすごく早く配当されまして、何にもない日です。その日の午後8時半から、このドラマは放送されます。
 そして当時は風邪が流行っているとかいう理由で、午後8時には蒲団に入らないとならないのです。仕方ないから蒲団に入っていて、それで聞く二人の朗読劇は、実に心の中まで染みるような思いがしたものでした。
 この物語は、青玉から獅子香炉を作る李同源と、その獅子香炉を作るのに、李のすぐそばでそれを見守っている素英という李同源の師匠の娘の愛の話でもあります。
 青玉であるただの素材を加工していくのには、師匠の王福生は、いつも若い女性にその玉を抱かせてから始めていたのです。

  古めかしい精神主義だったと思っていた師匠のやり方を彼はよ
  うやく理解できるようになった。それは彼が最初思っていたよう
  な、こけおどしのまじないでなかった。
 (師匠は玉を抱かせたり、そばに坐らせる女に惚れていたのだ)
  好きな女がそばにいると、男の心はたかぶる、最も人間的な感
  情なのだ。それを制作に導入すれば、燃焼しつつある人間のぬく
  みが、しぜん作品のなかに表現されるのだろう。
  女人の膚の精を吸うのは、玉そのものではなく、制作者の心な
  のだ。玉はその心をうつし出すのにすぎない。

 師匠の娘素英は、李同源に自分の乳房に触れさせて、「燃えてちょうだい」「まだ燃えないの?」と問いかけながら、彼の玉を加工させます。このことによって、玉のことがどうにか李同源にも判ってきたのです。

  彼は自分の情感が玉のなかに染み込むことがわかった。物心の
  ついたころから、玉は彼の生活のなかにあった。まだ若いとはい
  え、玉とは深い縁を結んでいたつもりだった。だが、素英の乳房
  にふれてから、彼ははじめて玉器のつくり方を知ったという気が
  したのである。

 これによって、この青玉獅子香炉は完成します。
 この時代は、ちょうど辛亥革命の頃です。そして中国は清朝が滅びまして、日中戦争になり、そしてそれが終わったら国共内戦が続きます。もともと、この青玉獅子香炉は、清朝の乾隆帝の時代の作品を、ある宦官が盗んで米国人に売り、それがばれないように作らされた贋作でした。だが李同源はその贋作を作るために何もかもをかけたのです。
 この李同源の作った贋作を、彼はあくまで大事な憧れをもって見つめていきます。そして激動の歴史の中で、この獅子香炉はあちこちを展転としていきます。彼にこれを作るのに燃えさせてくれた素英も、別な人の妻となります。李同源にはもはや、この青玉獅子香炉しかありませんでした。
 やがて、やっとこの獅子香炉をやっと台湾に逃れさせたと思ったときに、この獅子香炉を入れた箱を開けると、それはまた別の贋作になっています。彼が作った獅子香炉はまた別な人間に売られてしまったのです。そしてそれは米国の東部に運ばれています。

 最後に、年老いた李同源はこの米国に渡ります。とにかく、あの獅子香炉に会いたいのです。そばには、年老いた素英がついています。その最後、獅子香炉に会える寸前に、李同源は倒れます。そしてそのときに、そばにいる素英の乳房に触れます。

 36年前に独房の中で聞いたラジオドラマでは、この二人の長い時間歴史の中の男女の触れ合いをとても重く感じたものでした。加藤道子さんの、声を今もありありと思い出せます。
 そして私は李同源とは違いますが、私もまた遠くまで来てしまったな、そしてあのときの私の恋した女性とは、李同源と同じように結ばれず、これまた遠くまで来てしまったなという思いばかりです。

 この本をある古書店で見つけて、買いました。だがどうしても本を手にとって読み始められませんでした。あの36年前のラジオでの感動と、府中刑務所の接見室で会う、当時の恋した女性の思い出がわき上がってくることがただただ怖かったものでした。でもやっぱり読んでよかった。36年間がそのまま今やっと繋がった感じがしています。(2004.12.20)