11032405書 名  日本/権力構造の謎
著 者  カレル・ヴァン・ウォルフレン
訳 者  篠原  勝
発行所  早川文庫
1994年4月15日発行

 外国人が書いた日本人論といえば、私が最初に接したのはルース・ベネディクト「菊と刀」だったと思います。この書物は「日本はアメリカが総力をあげて戦ったもっとも異質な敵国」ということから、その「異質」とは何なのかということを分析したものだと言えると思います。ただ、私はこのベネディクトの書いてあることに感心しながらも何故か違和感があり、そのように思う自分の感じ方に安心もしていました。この「日本/権力構造の謎」でも最初に次のようにあります。

  日本人のあいだでは、自分たちの文化はユニークだということ
 が、ほとんど信仰のようになっている。それも、すべての文化は
 ユニークである、という意味でのユニークさではなく、いわくい
 いがたいユニークさ、究極的に他の文化とは異なる、ほんとうに
 ユニークはユニークさである。それは日本人のユニークな感受性
 の源であり、そのために外国人がそれに言及してはいけないとい
 うことはないにせよ、理詰めに追及されることからは守られてい
 るというものである。外の世界と比較する場面が生じるたびに、
 日本人は学校でも会社でも、報道メディアや役人のスピーチを通
 して、日本という国は特別なのだと言い聞かされる。
              (1章“ジャパン・プロブレム”)

 私も「結局は、ベネディクトだってアメリカの女さ、日本の本当の姿なんか判らないさ」と言ってしまうところがあったわけです。このK・V・ウォルフレンは、そうしたところから、日本人とは何かというところへ入っていきます。彼が書いたものも結局はそう言われてしまうのではということを念頭においていると私には思われます。
 もうひとつ私が驚いた外国人による日本人論というと、イザヤ・ペンダサン「日本人とユダヤ人」です。これを読んだときは私は驚愕したものです。ベネディクトの比ではありません。いったいこの「イザヤ・ペンダサン」て、何者なのだろうと思ったものでした。もっとも現在ではその人物像が判っており、私たちはまた安心したものではないでしょうか。「そうだよ、結局日本人でなければ日本のことは判らないのさ」と。
 さてそれでこの「日本/権力構造の謎」はいかなる日本の分析を私たちに与えてくれているのでしょうか。
 日本は幕末開国に応じたときから、欧米との異質さにきずきました。その異質さを充分に認識して、それを日本の独自性として訴えていこうというすることをやってきました。だがそれは大東亜戦争の敗北ということで終りました。
 そのあとの時代は、この日本の異質さを主張するのではなく、もはや日本も欧米と同じ形の社会を作っているのだと日本人は意識してきました。もう日本も欧米からとやかく言われることはないはずなのです。だが、今の今こそ、
「日米構造協議」の指摘があったり、市場解放の要求を突き付けられています。まだ日本には「異質」さが存在していると指摘してくるのですが、実は日本人のほうは、その言うところが理解できません。もう欧米と戦争する気はないし、充分社会体制を変えてきたし、国際貢献もしているはずなのに、欧米は一体何が不満なのだと日本人は思い込んでいます。
 ここのところに、この著者は一番問題があるのではと考えています。どうして日本人はそうした日本の持ってしまっている異質さ、違う社会構造を作りあげてしまっているのかということに気がつかないのだろうか。それはそうした日本人の意識を作りあげてしまっているものが、まさしく日本の「権力構造の謎」なのだということでしょう。かの戦争で敗北してしまったから、終ったわけではない。まだまだ日本が自らの「異質」さを明確に認識できないかぎり、この日本の不可解さともいう存在感はなくならないのではというところでしょう。
 そしてそうしたことを強く指摘しているのが、この著書であり、今後もさらに著者は私たちに強く指摘してくると思われます。
 ただ、この著書はかなり膨大なる量であり、著者の緻密な情報収集と丁寧な取材に感心します。ちょっとこれだけで紹介できるものではないことは、ここで言っておこうと思いました。(1998.11.01)