11032920 随分前になりますが、セゾングループの第一線をしりぞいた堤清二がたしか日経産業新聞に書いていたことで、印象に残こったことがあります。それは「ツカシン」をつくるとき、彼は当初の企画案のとき、街にはゴミゴミした部分が必ず必要だから、それも盛り込むようにと提案したという。つまり新宿のしょんべん横町やゴールデン街の必要性をいったのですね。私はやっぱり彼もまともなのだなと思い嬉しくなりました。もっとも、社長からそんなこと言いだしては困るということで、企画にその部分は盛られなかったようですが。
 私はゴールデン街が好きですが、いずれ地上げされてしまうのは仕方ないかなと思っています。だけどそのあとにつくる街が問題なのです。たとえ何階建ての大きなビルだとしても、そこにあのゴールデン街の雰囲気を残してくれればいいんです。オカマやキャッチのおねえさんが、ところどころ立って声かけたり、流しがあちこちのぞいていたり、12時すぎてもまだ開店していないところがあったり、ついでに新宿やぶれ傘一家の母袋の親分さんが、路上で涼んでいたり………そんなビルの街ができればいいのです。私の友人でもっと以前にそんなプランをだしているのはいるのですけれどね、
 そのセゾングループのリーダー堤清二のもうひとつの顔、詩人辻井喬の代表作といえる小説です。

書 名 彷徨の季節の中で
著 者 辻井喬
発行所 新潮文庫

 予想していたことですが、堤一族とは凄まじい一族ですね。それは猪瀬直樹「ミカドの肖像」の衝撃とはちがう、堤一族へのおどろきです。「ミカドの肖像」の場合は著者の意向とは別に、「このぐらい西武がやるのはむしろいいことじゃないの」なんてところがあります。ところがこの小説は「おいおいここまで身内のこと暴露しちゃっていいのかよ」と心配になってきます。
 もちろん小説であるわけですから、あくまでフィクションというわけでしょうが、私にはいや多分読む人なら誰にも、すべて現実にあったことを書いていると思われます。小説には、清二も義明も、長男清も、清二と義明の二人の母親も、父康次郎もそのままでてきます。そして激しい、親子の軋轢確執もそのまま。
 私たち西武グループのこと話すとき、「どっちっていったら、俺らは清二に肩入れするのが筋だろうな」なんて話します。学生運動で彼は、やはり反代々木系の先輩になるわけですから。その彼が挫折した共産主義運動もこの小説の中で大きく扱われています。私たちがよく知っている、先年亡くなった活動家も若き姿ででてきます。
 清二と義明、この経済界の二人のニューリーダー、さまざまに比較されたりするわけですが、私は清二を評価します。なにかいっぱんには、結局セゾングループの驚異的躍進も義明のもつ膨大なる土地資産のお蔭で、清二は義明に頭があがらないのだというような見方がありますが、私はそう思いません。渋谷のパルコの果たした役割、有楽町西武の進出による銀座の活性化、東京拘置所あとのサンシャイン、「ぴあ」との提携等々考えると、彼の変革への挑戦の熱情を深く感じとることができます。
 義明は父康次郎のやったことをそのままひきついでいる(異論は当然あるでしょうが)としてしか思えません。この小説のなかで、多分東京大空襲のときのことだろうけど、麻布の堤一家のおおきな屋敷に、被災者がはいってこようとするのを、父康次郎が部下にこう命令するのがあります。

 「難民を一人もこの中に入れるな。家の燃えるのはかまわん」
 「いいか、一人も入れてはならんぞ、無理に入ろうとする者があっ
 たら叩き出せ、不法侵入だ。容赦するな」

清二に対して、

 「甫、親切が仇になるというのを忘れるな。皆をこの屋敷内に入
 れたら此処は取られてしまうぞ。家は燃えてもいい、然し土地は
 絶対に譲ってはならんぞ」

といいます。これがいまも西武鉄道グループ(義明)に流れている思想ではないでしょうか(ちょっといいすぎかな)。
 義明が西武球団のオーナーになって、たしか広岡監督がやめるときに話しかけているのをテレビでみたことがあります。私はなんという尊大な態度だと思ったものです。私は何度かスポーツ団体の冠スポンサーをつけたいわゆる冠大会をやったことあります。どこも国土計画ほどの大きい会社ではないですが、冠としてお金をだしたっていったって、みんな謙虚なものでしたよ。いわんや現場の選手なんかには丁寧なものです。どうも義明のあの態度はなにか勘違いしているとしてしか思えないですね。
 まあこの2人の経営思想なんか検討しだすと、もう大変なことになるわけで、それはまたの機会にしたいと思います。
 辻井喬は、糸井重里とか吉本(吉本隆明)さんとも対談していますが、是非堤清二としても吉本さんと対談してほしいと思います。(1998.11.01)