2011年04月10日

吉本隆明鈔集「宗教」

11040906 ちょっとかんがえると、宗教は阿片であるとか迷妄であるとか簡単に片づけられそうにみえますけれど、しかし、なぜ人間が宗教的あるいは観念的には、馬鹿馬鹿しいくらいの迷妄になりうるかということの根柢は、そうたやすいものではありません。なぜたやすいものでないかといえば、そのほんとうの基盤は、最初に申しあげましたように、社会そのものの現実的な要素の中にあって、迷妄はその一つの象徴たるにすぎない面があるからです。それからもう一つは、観念の問題としての伝承、つまりこれは、言葉を通して、言葉として残されたものを通してというのが多いわけですけれど、伝承されたものから影響を受けやすいという、そういう両方の面から、迷妄性の根柢は、かなり深いように思われます。だから、人間の観念的な可塑性とは、ほんとうは、いかようにも迷妄になりうるし、また、いかようにも科学的にもなりうることを指しています。
「国家と宗教のあいだ」原題・緊急の思想的課題1970.4.29西荻南教会主催講演於杉並公会堂  「海」中央公論社1970.7月号に掲載  「知の岸辺へ」1976.9.30弓立社に収録された。「信の構造Part3全天皇制・宗教論集成」1989.1.30春秋社に再録。「語りの海吉本隆明1幻想としての国家」1995.3.18中公文庫に再録

 このことをよく踏まえておかないと、宗教のみならず人間の観念性を見誤ってしまうのだ。人間は観念的にはどのような異常性も狂気性をも持ちうるのだ。その自分の特殊な観念を世界に普遍なものと思い込んでしまう。だから一見馬鹿馬鹿しい迷妄さも、全くの科学性も同じところに存在してしまうことがあるのだ。



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