11042118 私たち夫婦は、結婚してからもずっと働いていました。長女ができて、妻が働くために、両親に長女を見てもらうために、千葉県我孫子市の両親の家のすぐ近くに引っ越ししてきました。それで、次女もできまして、保育園に通わせましたが、保育園の行き帰りは、すべて両親がやってくれ、かつ二人を朝も夕方も預かっていてくれました。妻が夜7時頃帰ってきて、両親の家から自宅へ連れて帰っていました。もう両親はよく二人を見てくれました。そして両親だけでなく、

  我が一族の楽しい話(義姉篇)

の義姉も、よく二人を可愛がってくれました。これは今の今も同じです。
 それから、妻の母も娘たちが小さいときには、よく来てくれまして、二人の面倒をよく見てくれました。二人は「王子おばあちゃん」と言ってものすごく喜んでいたものです。
 みんな、祖母や大伯母というよりは、まるで実の母親ように二人を大事にしてくれたものです。
 そこで、いわば娘二人には、4人の母親がいたわけです。

  1人目の母  二人の母、つまり私の妻
  2人目の母  二人の祖母、つまり私の母
  3人目の母  二人の祖母、つまり妻の母
  4人目の母  二人の大伯母、つまり私の義姉

 ところで、「私こそが5人目の母だ」という女性がいました。

  ブルータスが入院

の中で、私が次のように書いている女性です。

  それから救急車で慈恵まで転院です。ちょうど、妻の会社の福
  島さんという、いつも私の娘たちを可愛がってくれている女性が、
  来てくれたのですが、彼女が来て見たのは、救急車に載せられる
  ブルータスでした。彼女はそれこそ死ぬほど驚いたようです。

 この彼女は、それこそ二人が小さいときから、いつも可愛がってくれました。ときどき妻と4人(ときどき、会社の女性がさらに加わる。私は入れてもらったことがない)で、愉しく食事会をやっていたものです。彼女にとっても、二人が、小学生になり、中学生、高校生生、大学生になり、今社会人になったことにいつも驚き感激してくれていたようです。本当にありがたいことでした。
 まだ娘が小さいときに、彼女が電話で。怖い声で「我孫子警察ですが」なんて電話してきて、何回かは娘たちはひっかかったようです。そんな愉しいことを思い出します。
 でも本当は、これは私には冗談にはならなかったんだよな。私は昔の過激派ですから、何かあると(なくても定期的に)、いくつかの警察から調査されたものですから。
 これからも二人の「5人目の母」として見ていってほしいです。