11050508 お隣の家から借りて、思わず読み耽ってしまった漫画です。

書 名 三国志
著 者 横山光輝
発行所 潮出版社「希望コミックス」

 やはりこの60巻は読み応えがありました。通して2度読みましたが、けっこう時間がかかりました。
 最初読み始めたときには、「なんだ吉川英治の真似ではないの」と思いました。だが段々読み進むうちに、「三国志演義」そのものから書いているのかなというふしがあります。
 私たちの接する「三国志」というのは、通常羅貫中の書いた「三国志演義」です。そしてさらに我々日本人には吉川英治「三国志」に一番接してきたものだといえるかと思います。この吉川英治「三国志」も「三国志演義」から書かれたものです。
 本来「三国志」というのは、晋の陳寿が書いた「三国志」という歴史の本でした。ただ内容は「演義」とはかなり違っています。三国のうち魏を正統として書いているのです。そして実に簡潔です。いや簡潔、簡略すぎるといっていいでしょう。これがのちの世まで残る名著になったのは、南北朝時代の宋の文帝が、「あまりに簡略」と不満を述べ、裴松之(はいしょうし)という人に、「三国志」の補正をさせたことにあります。このことが、陳寿「三国志」を不朽の名著にしました。
 実にこの裴松之の付けた註こそが、陳寿の書いたものよりも膨大な量であり、実に内容が豊富であり、面白いのです。のちの「三国志演義」も、この裴松之の註から生まれたともいえるでしょう。私たちの知っている「三国志」のたくさんのエピソードは、実は陳寿ではなく、裴松之の註に書いてあるのです。
 ところで、この陳寿作・裴松之註「三国志」は、実は日本で訳されたことは、長い間ありませんでした。日本で初めて全訳されたのは、昭和五〇年代のことです。筑摩書房の「世界古典文学全集」でです。当初は高橋和己が訳す予定だったのです(高橋和巳は亡くなってしまいました)。私は高橋和己の訳でも読みたかった気がしています。
 でも、ということは、すなわち、これだけ日本人に親しまれた歴史物語なのですが、正史「三国志」というのは、この日本でそれを通して読んだ人は、江戸時代、明治時代もまずほとんどいなかったのだといえるでしょう。
 それが今では、いわば正史であろうが演義であろうが吉川英治であろうが、誰でも読め、さらに光栄のパソコンゲームともなっていて、まさしく、このところ永遠に続く「三国志」ブームのような雰囲気があります。そしてそのブームのまた一つの中心が、この漫画である横山光輝「三国志」といえるでしょう。

 これを読んで新しく知ったこともいくつかありました。戦いのときに、銅鑼を鳴らして合図したり、味方を鼓舞したりするのは、なるほどなと思いました。おそらく最初の「てっぽう」も、こうした合図の道具だったのでしょう。そうすると、我が国の合戦では、こうした銅鑼は使っていなかったのかな。太鼓だったのでしょうか。
 また関羽の八十二斤の青龍刀や張飛の一丈八尺の大矛などを、絵でみてみるとよく判ります。ただ、あれで馬上で闘うのは、かなりな苦労でしょうね。一騎討ちのシーンなどをみると、日本の平重盛と源義平との闘いなどとは少し違うようだなと思いました。源平合戦のほうが、華麗な感じがしています。三国志では、なんだか、闘いの場の大地そのものがもっと無味乾燥なところという気がしています。
 それにしても、当初さまざまな群雄たちが集う、中国の大地が、どうしてか諸葛孔明が現れると、雰囲気がまるで違ってしまいます。戦の仕方ががらりと違ってきます。孔明の出現により、三国志は群雄たちの物語ではなく、孔明の世界になってきてしまうのですね。孔明はいつも勝利していますが、どうしても魏を倒すことができません。
 絵を見ていて、関羽、張飛などは、こんな顔していたのかななどと思いましたが、劉備はもっと太っているんじゃないのなんて思いました。董卓はもっと腰の幅が大きかったはずです。私がどうみても、この姿は違うんじゃないかと思ったのは、曹操の部下の、徐晃はもっと優男ではないのか、張コウはもっとひげ顔なような気がする。呉の陸孫はいくらなんでも、美丈夫なはずではないのか。等々のことを思いました。

 この漫画から三国志の世界に入っていくやりかたもあるのでしょうね。おそらくどこかでこれから三国志を見ている少年に会えるような気がします。そのときに、おそらくいろいろなことを言うことが出てくるでしょうね。そんな出会いを今からずっと期待していたく思います。(1998.11.01)