先日2日、3日と文教大学の八ヶ岳寮に行ってまいりました。「文教大学父母と教職員の会」の関東地区役員研修会があったのです。以下は、そこで私が発表しましたものです。
 これをどこにUPするのか迷いました。「文教大学父母教(周版)」、「周の家族・教育の話」、「周の今週のコンサル」等々を考えましたが、ここにしました。

文教大学に要望したいこと    千葉支部 萩原周二

 私が現在の文教大学に要望したいのは、どこの学部でも同様に必要とされる論文教育の充実です。
 就職するに際して、教員であろうと、また一般企業であろうと、論文を明確に書ける人材というのが求められていると思います。そして、この「論文」をちゃんと書けるという姿勢が身につくということは、たんに論文対策ばかりではなく、教員採用試験で言えば、「模擬授業」「集団面接」「集団討論」等でも明確なる自分の意見を表明できる大事な能力を身につけられるということだと思います。
 それにあたって私は文教大学で以下のサイトのようなことができないものかと思っているのです。
 以下のサイトは、長野県の高校の英語の26歳の先生がボランティアで作られているホームページです。ぜひインターネットを見られる環境で、ここを見ていただきたものです。

   Fight!! 教員採用試験

 とくにここの「論文対策室」を見てほしいのです。(資料1)(資料2)

 このサイトがやっていることと同じことを文教大学でできないでしょうか。新しく何か教室を設けるとか施設や設備が必要になることはありません。ぜひ、書き込んでくる投稿者に対して、講評できる方が必要なだけです。即ち、大学の場でも自宅でも、インターネット上の講評を書き込むという作業が必要なことなのです。
 そしてこの「論文対策」というのは、「国語」関係の学部学課が特にやることではありません。理数系や情報・国際の学部学課でもぜひ指導してほしいことなのです。
 現在、一般の企業でも、どの社員も、ITを使って報告書も企画書も自分で作成することが必要です。いや簡単なメールで、自分の営業報告をすることも求められています。このようなときに、明確にすぐに書くことのできる論文作成の能力がどこでも求められているのです。
 私はせっかく大学を出ても、この能力に欠けている学生の多いことを感じています。そして私はその原因が、小学校以来の作文教育にあるのではないかと思っています。
 私が小学生のときから、受けてきた作文教育を典型的に表しているといるのではないかと私は思うものを(資料3)としました。

11061806 この「兎の眼」は私の大好きな小説です。そしてこの中でも、私はこの足立先生が一番好きです。
 だが、ここで足立先生が述べている作文教育が私も教わってきたものだと思います。絶えず「何をやったかを書くのではなく、そのときにどう思ったのかかを書きなさい」なんて言われ続けたものでした。これが戦後無着成恭「綴り方教室」を始めとする作文教育だったかと私は思っています。この指導だけですと、どうしても論文を書くという能力はつきません。
 問題は国語科の「作文」をどう書けるかというの問題ではなく、今は論文を書ける能力が強く求められているのです。
 このことで私が過去書いた文の一部を参考にしてください。(資料4)

 私はこうした論文、評論の読解が大事だし、そしてこの「論文作成」の指導が一番大切だと思っているのです。
 ぜひとも、文教大学で、こうした「論文対策」のホームページが開設できて実践できたとすれば、実際に各学生の論文作成の能力を確実なものにできることと、そしてこのことは全国の大学の中で画期的なことであると思います。
 私はこのことを強く要望したいのです。

(資料1)このホームページの「論文対策室」の1ページ目です。

論文対策のための掲示板です。
自分で書いてみた論文(構想のみでもOKです)を投稿して、他の人に評価してもらいましょう。
投稿する前には、下の注意点をよく読んでください。

      対策室へは、こちらからどうぞ

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注意点

 テーマはどんなものでもOKです。過去問や参考書の出題例などから選んでいただいてもいいですし、自分で考えたテーマでも結構です。必ず「テーマ:」とあるところにテーマを書いてから書き始めるようにしてください。(良いテーマがありましたら、皆さんで考えてみる機会も設けたいと思います)
 既に模試などで添削済みのものでもOKです。いろいろな人に見てもらうことによって、また違った評価、視点が得られるかもしれません。ネットという媒体の性質上、字数にはあまりとらわれなくて結構ですが、段落分けなどは明確になるようにしてください。清書したものでなく、段落ごとの構成の構想のみでもOKです。
 各投稿の中のフォームで返信することにより、講評を書くことができます。辛口な批評もありとしますが、投稿者の気分を害するような悪質な批判は無条件に削除します。
 辛口批評も時にはあり得ます。ほめ言葉だけを期待する人は、投稿しないでください。
(資料2)私が、2日当日八ヶ岳寮で、資料1の「論文対策室」を見まして、直近の論文のテーマが以下です。これをみなさんに口頭でお知らせしました。

テーマ:あなたにとって信頼できる教師とはどのようなものですか。また信頼できる教師になるためどうしますか。具体的に述べなさい。(埼玉県/小学校/1200字/70分)

(資料3)灰谷健次郎「兎の眼」

「健治、最初の文を読んでごらん」
「………『あさ七時におきました。まい日、うんどう会のけいこをしています。きょうはおかあさんについてかいものにいきました。おとうさんが八時三十分にかえってきました。テレビをみてねましした』」
 健治が読みおわると、みんな笑い出した。さすがにひどい文だと子どもごころに思っているのだろう。
「つぎの文、明、読みなさい」
「………『ぼくは、学校のかえり、工事をしているところで、ブルドーザーがうごいているので、それを立ちどまって見ました。ブルドーザにひかれたら、せんべいみたいにペッチャンコになると思いました。ブルドーザがとまったので、足をどうろにつけたらあつかった。ぼくはなんであついんやろと思いました。ひもでんきもついてないのにふじぎやな』」
「それではいまから、いよいよ先生がええやつとわるいやつを教えてやるから、よう耳の穴をほじってきいておれよ」
 と、足立先生はいって黒板につぎのようなことをかいた。

  ○したこと
  ○見たこと
  ○感じたこと
  ○思ったこと
  ○いったこと
  ○きいたこと
  ○そのほか

 そして、「したこと」の上に×をつけ、あとは○をつけた。
「先生、したことはわるもんか」
 子どものひとりはまちかねたようにたずねた。
「そうや」───足立先生はすましている。
「それじゃ、さっきみんなが笑った方の文を調べみることにしよう、『あさ七時におきました』これは、したことか、思ったことかどっちや」
「したことや」
こどもたちはいっせいにこたえた。
「そやから、これはわるいやつや。×をつけておけ」子どもたちはよろこんで×印をつけた。
「つぎ、『まい日、うんどう会のけいこをしています』これはどうや」
「したことやからわるいやつや」
「じゃ、これも×に」
「『かいものにいきました』」
「わるいやつ、わるいやつ」
 足立先生がなにもいわないうちに、子どもたちはさわいでいる。
 けっきょくみんな×印がついた。ヒャーといって子どもたちは感心している。
「さっき、わるいやつをおい出したら、ええ文になるというたけど、わるいやつをおい出したら、この文、なんいもなくなってしまうんや先生」
「そうや。こんな文はいくらかいても消えてしまうから、こんなものをかくくらいなら 、家で昼ねをしとる方がずっとましやということや」
 子どもたちはげらげら笑った
 つぎの文はみんな○印がついた。一雄という子どもの文だったので、一雄はうれしそうな顔をした。わるい文にならないかとひやひやしていたのだ。
「ここでちょっと大切なことをいっておくけれど、世の中には、ええやつもわるいやつもおる。わるいやつがおるから、ええやつもひき立つ。文も同じで、ええやつばっかりだと味がない。わるいやつもちょっといれておくと味のある文ができる」
 足立先生はうまいことをいう。したことをみんなはぶいてしまうと文が成り立たない場合があるので、先まわりして子どもに注意をうながしているのだ。

(資料4)
   三浦つとむ「認識と言語の理論」

 子どもたちから、作文の作法をきかれたときさまざまなことが問題となります。原稿用紙はこう書くというのはまず教えられますね。では、読点はどうでしょうか。これは大変に説明しづらいことです。いやこれは、私は広告関係の業界にいた時に、名刺に「課長」という肩書の人にも、原稿用紙の書き方含め教えたことあります。彼は、こんなこと学校でまともに教えてくれなかったといってました。とくに広告コピーは文法の法則になんかに順法しませんから、たいへんなんですね。
 子どもたち、「課長」の肩書の人、コピーライターと当然ひとりひとりの表現はさまざまです。しかし義務教育の期間において、統一した日本語の文法を教えてほしいと思います。そうすれば、私はこの商品を売るために「あえて、この日本語の文法の規則からはずれて、このコピーを書いた」などとコピーライターが言えるはずです。
 ではその表現行為を教育の現場ではどう教えるべきなのでしょうか。

  ……子どもが使う日常語は、学問的に正しい概念を表現してい
  ないから、経験的に日常語の概念を身につけることからさらに学
  術用語としての意味を理解するところへ、目的的に教育をすすめ
  なければならない。これはいわば概念づくりであって、その観点
  から理科や社会科の存在の授業方法と教科書の公正・内容につい
  て、もっと深く吟味することが求められている。まだ子どもの時
  期には、概念が未熟で歪められていることも多いから、それをつ
  ねに具体的な経験と交流させ、内容を豊富にするとともに歪みを
  正していくことが重要で、 <生活綴方> 運動が自分の具体的な経
  験をありのままに書けといい、概念くだきを主張したのにも、そ
  れなりの根拠があり有効性もあった。しかしながら根本的には、
  概念くだきもほかならぬ正しい概念づくりの教育と連関において
  なさなければならない。別のいいかたをするならば、子どもにも
  それなりに <評論> や <論文> を読ませたり書かせたりしなけれ
  ばならないし、与えられた文章について受動的な感想を述べるだ
  けでなく、自分の意見を出して積極的に議論したり批判を加えた
 りさせなければならないのだが、これは経験主義ではなく、理論
  的な検討を経て教育の中に位置づけられるべきである。

 これは正しく大きなことと思います。作文で「自分の思っていることをそのまま書く」という指導はわかるのですが、もう敗戦後これだけ時間が経過している以上、論文、評論を読解し、自分もまたそれを表現してみる訓練というのは大切なことだと思います。そうすることによって、国語ではない他の科目の習熟度にも進歩が必ず見られるはずです。実に国語教育と他の科目の教育は大事な連関を持っています。

 残念ながら、現在こうした国語教育ができているのは、結果として進学教室等であると思います。中学進学の塾の国語の教材をみてください。かなりな現代の評論、小説等を扱かっています。あれを読解し、自分もまた表現する訓練は、彼等に必ずいい結果(入試に成功するということではなく、もちろんそれもだが)をもたらすはずです。