2017042408 私が詠う詩吟の中で二番目に好きな詩です。どこでもけっこう吟ってきました。ただ七言律詩ですから、絶句の2倍ありますからどこでも詠えるわけではありません。詠うのに3分半くらいかかりますから。
私には、絶句よりも律詩の方が詩としては完成された形のような気がします。そして律詩で一番いいなと思うのはやはり杜甫の詩でしょうね。律詩は御存知のように三連と四連、五連と六連が対句になっています。この詩も見事です。11070706

歴史書に「十八史略」という本があります。三皇五帝から南宋までのことを記した書です。中国では「史記」「漢書」「通鑑」等々をはじめたくさんの書がありすぎるため、それをもっと簡単に紹介したいということなのでしょう。読んでみると確かに「略」であり、私たちにとっては、少々物足りないところが多々でてくるわけです。したがって中国でもそれほど評価されない書物なのですが、わが日本に於ては特に江戸時代以降によく読まれた書物です。
ところでそのなかで、最後の南宋が亡びる時に文天祥という素晴らしい英雄詩人が現れるわけなのですが、実にこの「十八史略」の存在価値は文天祥を描いたことにあるといえると思います。そしてわたしはこの文天祥が好きなのです。多くの幕末の志士たちもこの文天祥の志が好きなようでたくさんの詩に詠っています。
その文天祥の詩です。

     過零丁洋          文 天祥
零丁洋を過ぐ 文(ぶん)天祥(てんしょう)

  辛苦遭逢起一経 辛苦遭逢(註1)一経(註2)より起こる
  干戈落落四周星  干戈(註3)落落たり四周星
  山河破砕風漂絮  山河破砕風絮を漂わし(註4)
  身世飄揺雨打萍  身世飄揺雨飄を打つ
  皇恐灘邊説皇恐 皇恐灘辺皇恐を説き(註5)
  零丁洋裏嘆零丁  零丁洋裏に零丁を嘆く(註6)
  人生自古誰無死  人生古より誰か死無からん
  留取丹心照汗青  丹心を留取して汗青(註7)を照さん

(註1)遭逢(そうほう)  思いがけなく逢う。
(註2)一経(いっけい) 事の起因する意、経書を治めて仕官せしをいう。
(註3)干戈(かんか) たてとほこ、戦争のこと。
(註4)漂絮(じょをただよわし) 古綿をちぎってただよわす。
(註5)皇恐灘 灘の名。 皇恐(こうきょう) おそるるの意。
(註6)零丁洋 広東珠江の口にある洋。零丁(れいてい)おちぶれる意。
(註7)汗青(かんせい) 歴史の意、昔書籍をいう。紙のない昔竹をや
       ぶりて汗を出させ油を抜いてそれを紙にかえて字を記した。

私のこの苦しい闘いは経書をひもとくところから始まった。
モンゴル軍と戦い続けて四年たち、
モンゴル軍のために故郷の山河は破壊され、糸くずが風に漂っているようだ。
私もあちこちさすらい、蓬が雨に打たれているようにたよりない。
いま皇恐を目の前にして国を敬うことを説きながら、
落ちぶれた我身を嘆いて、零丁洋を過ぎた。
だが、この人生誰にでも死は訪れてくる。
私の誠心を披露して、歴史のうえで明らかにしよう。

元の世祖フビライはたいへんこの文天祥の人物を惜しみ、何度も何度も自分の臣になるように説きました。文天祥は北京の獄中で2年間に渡ってこれを拒み続けます。そのときの文天祥の意思を表したのが「正気歌」という長大な詩です。
ときにまだ南宋で元に対して戦い続けている張世傑という軍人がいました。フビライ汗はこの人物も惜しみ、文天祥に張世傑を招く文章を書くようにと部下張弘範を通じて命じます。二人とも命を助け、召し抱えようというのです。そのとき文天祥が提出したのが、この詩でした。
この詩は、以前文天祥が戦いのなか、今の香港島の先の海上の零丁洋というところををさまよったとき作ったものです。フビライ汗は最後の二句を読んで、遂に首を切ることを命じたといいます。

幕末の志士たちはことのほか、この文天祥が好きでとくに「正気の歌」はよく読まれたようです。ただこの詩はあまりにも長大です。ちょっと詩吟で披露するのは無理でしょう。我が水戸の藤田東湖も「天地正大の地……」で始まる長大な「正気の歌」を作っています。また旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫も「正気の歌」を作っています。この広瀬武夫の詩については何度も披露したことがあります。

フビライ汗にとって、文天祥は不思儀な人物だったでしょう。なぜあそこまでかたくななのだ、という思いがしたことだと思います。宋なんて国がなんでそんなにまでつくす価値があるのだろうか。また文天祥も死の直前に初めて会ったフビライ汗には驚く思いだったのではないでしょうか。「むしろこの人物のほうが南宋のどんな連中より優れた容貌をしている」と思えたのではないかな、と推測します。だが何であろうと、文天祥は死を決しているのです。
フビライの生涯において、なんだか理解しがたい生き方をする二つの存在といったら、この文天祥と、なぜか元を実力ではねつけた我が日本ではないでしょうか。どちらもフビライには理解しがたい存在だったはずです。
ともあれ、私はこの詩を吟うときに、いつも文天祥の顔を思い浮かべています。いつも私は文天祥が好きです。(1998.11.01)

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