11080210 座禅による肉体鍛錬の方法こそが、釈迦が導入した脱化の概念をいちばんよく伝えているものだというのが、道元の根本思想です。現世的な悩みを生死からの脱化の流れにそそぎ入れて、肉体の修練を契機に、いわばじぶんを、人間でもない、動物でもない、植物でもない、もっと極端に無機物だというところにもたらしてしまえば、生死もへちまもないんだ、自然の時間が永らえていくように人間も永らえて、流れていくことができるということになりましょう。だから道元によれば、仏教の本質そのものは宗派ではないということになります。
「良寛詩の思想」雑誌「修羅」における講演1978.9.16 「言葉という思想」1981.1.30弓立社に収録、「良寛」1992.2.1春秋社に収録

  あくまで座禅をすることのみに、悟があるのであり、極端にいえば、ただ坐り続ければいいのだということだろう。釈迦が、達磨がやったように、ただ坐り通す中に悟があるのであり、それ以外は余計なことだというのだろう。だがそうするとこれで宗教といえるのかななんて思ってしまうのだ。