Friday, June 25, 2004 11:32 PM
親切なご教示ありがとうございます

11081207 誤字まであるはずかしいメールにご親切に返事をいただいてありがとうございます。
 以前偶然見つけてダウンロードしたのは確かに教えていただいたページです。しかしその時にはふりがなはなかったのです。長いこと自己流で読んでました。間の抜けた話です。はっきり知りたい気持ちが強くなり、思い切って頼んでみようと思い立ったのですが。そのページにはメールアドレスもなかったのでどこかメールアドレスのあるところはないかと探したら漢詩塾というところにあったので使わせてていただきました。
 北方謙三さんの戦いのシーンはユニットごとの動きがゲームの用にはっきりわかるように描写されているので分かりやすいとは思います。こんなに計算通りにいくものなのかなという疑問は起こることもありますが、戦いを知るという点では、歩兵と騎兵のぶつかりあう戦いというものを知っている人は戦中派といえども誰一人いないわけですから仕方がないのではないでしょうか。
 今は同じく水滸伝を回し読みしています。二番目が一番熱心です。金庸の武侠もの、小野冬美の十二国記、揚家将なども読みました。ちょっと先生の趣味とははずれますね。MM

   Sunday, June 27, 2004 8:47 AM
Re: 親切なご教示ありがとうございます

 こうして返事が遅くなりごめんなさい。
 やっぱり土井晩翠の詩ですね。私はあの詩を、高校生のころは全文暗誦できていたんですがね。
 あ、それで

そのページにはメールアドレスもなかったので

 私はこのホームページをはじめたときから、全ページにアドレスを置いていますよ。

北方謙三さんの戦いのシーンはユニットごとの動きがゲームの用にはっきりわかるように描写されているので分かりやすいとは思います。

 北方さんの歴史小説は、ほかにも私は読んでいるんですが、戦いのシーンは同じように読めています。ただね、

戦いを知るという点では、歩兵と騎兵のぶつかりあう戦いというものを知っている人は戦中派といえども誰一人いないわけですから仕方がないのではないでしょうか。

というふうには、私は思えないのですね。彼は、「俺は実際の戦い、ゲバルトを知っている、その場に実際にいたんだ」という気持なのだと思います。それが、あの「別巻」にそのまま書いてあったので、驚いたのですよ。三派全学連のブンド(共産主義者同盟)の、関西派(のちの赤軍派)と関東派のゲバルトを見て、それを「ものすごいものだった」と、自画自賛しているだけなんです。
 それをどうどうと言う彼に驚くと同時に、同じ現場にいた私としては、「こんな光景はなかったよ」としか思えないのです。何を勘違いしているのでしょうか。
 彼はブントと言っても、中央大学の「全中闘」(中央大学全学中央闘争委員会の略)にいたのです。そこで69年の1月の東大闘争で、東大にいた私たちのために、みんなで握り飯を作ってくれたのです。もう熱い飯を、手を真っ赤にして、ブンドの諸君は莫大に握り飯を作ったといいます。でもね、季節は真冬ですよ。暖かい握り飯も、すぐに氷のように硬くなります。そして機動隊の激しい放水と催涙掖です。すぐに握り飯は食べられなくなりました。それにくらべて、どうにも評価できない中核派ですが、彼らは食パンを用意していました。ビニール袋に入れておけば、冬の寒さも、放水も、催涙掖も、みなはねのけていつでも柔らかい食パンが食べられるのです。
 私はこんなことが実際の戦いの現場だと思っています。戦争の実際の現場というのは、食うものとトイレの問題が大切です。実際にずっと何十時間と戦い続ける現場では、食うことと、そしてトイレの問題が重要なんです。
 実際に、このことを、最優先していた武将がいますし、それを書いている小説もあります。小説では、ないのですが、陸軍参謀本部が書いた「日本戦史」において、たとえば、豊臣秀吉という人は、こういう糧食を運ぶ部隊と戦闘部隊とを明確に別けられた武将だったと思います。彼の「小田原攻め」の作戦なんかは実に感心します。「なるほどなあ」なんて読みながら、「でも、これを学んだはずの、日本軍って、どうしてあれほど、兵站という考えが皆無だったの」と怒りを覚えるものです。いや怒りというのは、私の父も、私の義父も、日本軍にいて、ただただ苦労をした兵隊でしたからね。私の父は、中国戦線で戦い、そして仏印進駐から、マレー半島南下、シンガポール攻略、タイへ転進、そして泰緬鉄道建設(のちにアメリカ映画の「戦場にかける橋」になった実際鉄道です)のをして、そしてまたスマトラに転進しました。
 私は、この日本人も、こうした戦いの現場はよく知っているのだと思いますよ。ただ、そうした実際の現場にいる人はただただ黙っていただけです。

今は同じく水滸伝を回し読みしています。二番目が一番熱心です。金庸の武侠もの、小野冬美の十二国記、揚家将なども読みました。ちょっと先生の趣味とははずれますね。

 そうねえ、私の一番の愛読書というと、司馬遷「史記」でしょうか。よくいつも読み直していますよ。この「史記」の中のたくさんのエピソードが、この日本の歴史の中でも、何度もいくらでも繰り返し出てくるのですよ。いやこれは「史記」には限らない話なんです。
 一つあげるとすると「太閤記」(この書物は江戸時代初期に、いくつもの太閤記が書かれています)の中で、竹中半兵衛を秀吉が、自分のところへ来てくれと、何度も通うところがありますね。あれは、「三国志」の中の「三顧の礼」の話そのままなのですよ。
 思えば、信長のことを書いた「信長公記(しんちょうこうき)」を書いた太田牛一(信長の側近の武将)なんかも、書いているそばには、中国の古典が何冊もあったのでしょうね。同じく徳川の「三河物語」にも、同じことを感じます。「あ、これは『史記』に書いている話のそのままじゃないの」なんて思うところがいくらでも出てくるのです。
 そういえば、「信長公記」は、もともとそれほど資料的に信用されていなかったのですが、伊勢湾台風のときに、尾張の古い家から「武功夜話」という書物が出てきて、それに、「信長公記」とものすごく合致するところが出てきまして、「信長公記」がまた再評価されたのですが、ついこのごろ、「武功夜話」は偽書だという説が出てきて、私はもうそれこそ、死ぬほど驚いていますよ。

 ごめんなさい、どうでもいいことを書き連ねました。萩原周二
(第203号 2004.07.05)