以下は98年1月24日にNIFTY のあるフォーラムに書き込んだ内容です。

11082007 Nさん、はじめまして。私は昨日から徹夜の仕事中だったのですが、なんだかこのフォーラムを読んだりしているうちに、こちらのほうに主力を向けてきそうな感じです。でももう土曜日だし、いいかなあ。
 私は20番会議室に自己紹介してありますので、年齢職業等はそちらを参照ねがいます。

 私も中国人の友人たちが何人かいます。韓国の方も、米国の方も友人にはいます。Nさんのように、「中国人の誇り」という言葉で表現するところまでお話したことはありませんが、確かに私たち日本人よりは「誇り」というものを持っているように見受けることができます。
 それで自分はどうかというと、「たしかにあんまりそんなことを考えたことがないよな」という思いです。だが、もし私がNさんの友人だとして、Nさんから

  あなたは日本人としての誇りというものを持っていますか

という電話をもらったとしたら、「あるよ」と応えているだろうと思っています。そして、もしその内容を話すとしたら、電話で延々話して、

  やっぱり、直接会って、詳しく話そうか

というくらいに長いお話になるかなと思っています。もちろんここでは、そう長く話せるわけではありませんが、少し書いてみたいと思っています。

 私はそれぞれの国や民族の構成員が、それぞれの存在に誇りを持つことが決して国と国、民族と民族の争いにつながるとは考えていません。ちょうど私たちが自らの故郷を誇ったり、あるいは嫌がったりすることが、けっして日本という国や民族を否定することにはならないと思うのと同じなのです。沖縄の人が沖縄の民俗文化を大事にしたり、大阪の人がその言葉文化を大事にしたりするのはいいなあと思っています。私は茨城生まれですが、この故郷のことを、嫌だなあと強烈に思っているところもあれば、やっぱり大好きなところだと思っているところもあります。また、現在この日本に住んでいる韓国の方や中国の方、その他の国の方々も、自らの国や民族の文化民族言葉を大事にする姿勢もいいものだなと思っています。

 私は日本というのは、過去の歴史から、日本に入ってくるものには寛容なところがいいのではと思っています。もちろん、仏教が入ってくるのには、蘇我氏と物部氏の争いがありますし、江戸の幕末には激しい攘夷運動がありました。でも、最終的には日本の中に入れてしまうわけなののですが、この「最終的には日本の中に入れてしまう」というのが、日本の寛容性なように思っています。
 本居宣長は「やまとごごろ」ということを主張したわけですが、そのいうところを見ると、この「やまとごごろ」というのは「絶えず、漢意=からごごこを否定する」としか言っていないように思えます。つまり具体的に、「やまとごごろ」を説明できていないのです。もし、この本居さんのいうことを今言うとすれば、「日本的なこころ」といえば、「絶えず外国のものが流入するのを否定することだ」となるのではないでしょうか。私は逆にそうではなく、むしろ日本の特徴は、「絶えず海外外国のものを流入してしまう」といえるのではないかと思っています。
 そして大事なのですが、日本の中に入れてしまうと言っても、それら「海外
外国のものを日本的に変容させてしまっている」のではないかという思いがし
ます。それがまた日本の特徴なのではないでしょうか。
 日本のキリスト教について、「今の日本のキリスト教も(もちろん切支丹も含めて)、日本教徒キリスト派になる」と山本七平氏が言っていますが(「日本人とユダヤ人」)、こうしたことが日本の特徴ではないのかと私は思うのです。キリスト教は、日本に上陸したときからもうすでに日本の宗教になっていたのでないかと思うのですね。これは仏教についても同じです。

 このことについては、私は次のように考えています。この日本列島と言われるところ、南は沖縄八重山から北は北海道千島まで、約1万年前から住んでいただろう私たちの祖先のところへ、約2千年前くらいに、また大陸から別な人々が(この人々もまた私たちの祖先である)この日本列島へやってきたわけですが(これは一度に来たということではありません。何年も何十年も何百年にもわたって来たのだと思います)、この二つの祖先たちは、けっしてどちらがどちらを滅ぼしてしまうというようなことではなく、この列島の中でうまく融合していったのではないか(いやもちろん戦いはあったろうけれど、それが神武東征とか日本武尊の蝦夷征伐になるのだろうけれど)と私は思っています。このことが私たち日本の特長になったのではないのかと私は思うのです。
 こうした日本人の特性といったものが、その後百済の人々が来るときにも、高句麗の人々が来るときにも、同じように、日本の中に組み込んでいったことではないのかと私は思っています。

 そしてまた同時に、海外から入ってくるものを入れることに寛容だとしても、日本人は絶えず「日本とは何なのか」というアイデンティを求め続けたこともまた特長ではないかと思っています。ですから絶えず、日本の文化を形づくろうとしてきたのだと思います。
 私は聖徳太子(のあとも含めて)の時代に、隋唐のたくさんの圧倒的文化を目の前にしている日本人を思います。まったく言語体系の違う中国語の白文を目の前にしている聖徳太子を思い浮かべます。だがだが、日本人はこの中国語の白文を読み下してしまいました。漢文として読み下したのですね。聖徳太子は当時の中国語が出来たと言われます。でも、けっしてそれで話そうとはしなかったのではと思います。だが、中国の文化を日本語として完全に咀嚼したいという熱情があったのだと思います。
 江戸元禄の時の荻生徂徠も、当時の清の言葉はペラペラと完璧に話せたそうですが、清の役人と喋るときには、中国語は使いませんでした。そして相手の中国人よりも、中国の古典については通じていたと思います。
 こうした聖徳太子や荻生徂徠の日本の文化へのこだわりというのが、私は日本の大きな特長ではないのかと思っています。おそらく中国の文化を日本同様に受けた韓国朝鮮は、この日本とは全然違うと思います。中国語の白文を日本の漢文のように読み下すなんてことはないだろうと思います。そのまま読んでいるんではないでしょうか(これはどちらがいいとか、上とか下かということではありません。念の為)。

 そして私は聖徳太子の時代に、まったく言語体系の違う中国語に接したときの私たちの祖先のとまどいと、そのあとの頑張りを思うときに、現在私たちが接しているインターネットの世界も同じように思うのです。やっぱりインターネツトはどうしても英語の世界ですね。英語も私たちの言語とはかなり違います。でも私たちの祖先が苦労して解釈してしまったように、また私たちはやりきれるように思っています。
 日本人の特長は、あくまで外国の文化を自らのものとして咀嚼してしまうところにあると思います。それがいいところだし、また問題点でもあるかと思います。あくまで日本人の視点で全部見てしまうのではないかと思うのですね。 私は詩吟を長年やっています。詩吟では中国の古典である漢詩も当然おおいに詠うわけです。李白や杜甫の詩は、中国の古典ではありますが、もはや日本人の古典でもあると思うのです。日本人は日本の古典として読み下してしまったのです。
 私はここが日本人の特長、いいところであるし、また問題でもあるのかなと思います。
 ここで少しその例になるかなと思うことを例としてあげてみます。杜甫の五言絶句の次の詩は誰でもご存知だと思います。

  絶句    杜甫
 江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾(いよいよ)白く
 山青花欲燃 山青くして花燃えんと欲す
 今春看又過 今春看(みすみす)又過ぐ
 何日是歸年 何れの日か是れ帰年ならん

 私たちが、この詩を読むと、最初の2句で、実に鮮やかな景色を思い浮かべてしまいます。「碧の大河の中に浮かんでいる真っ白な鳥、そして鮮やかな山の緑色の木々の中に真っ赤な花が咲き始めている」と思えるのではないでしょうか。ちょうど1句は若山牧水の

 白鳥は悲しからずや海の色空の色にも染まず漂う

の色の配色と同じように感じてしまうむきがあるかもしれません。だが、本当をいえば、杜甫が見たこのときの景色の色と、私たちが思いこんでしまう景色の色とは、かなり違うのではないのかと私には思えるのです。河の「碧」の色も山の木々の色も、日本と中国では違うはずなのです。ただ、杜甫の詩を日本の古典にしてしまった私たちの祖先には、この詩をあくまで自分達の色の景色の中で描いてしまったものなのではと私は思うのです。郭沫若が、日本人の中国の漢詩の解釈を知って、「これは日本人のほうが、中国の漢詩を深くとらえているのではないか」と書いていたのを読んだことがあります(これは「深い」というよりも、日本人が思うようには、中国の風物は美しくはないよということかもしれません)。
 このことが日本のいいところでもあったし、また問題でもあったのではと思ってしまうわけです。
 この問題点は、またいろいろなことで言うことができるように思いますが、まずは、この日本のいいところと私が言ってしまうものが、いわば私にとっての「日本の誇り」になるわけです。ですから、その「誇り」とはまた、同時に問題点を抱えているのだということもできるわけです。

 いま、私はこのことくらいまで思いました。また話していきたいなと思っております。