11082801   September 12, 2004 10:19 PM
大胆発言に、ドキッ。

 本日は、どうも何ごとにもやる気がなかったのですが、あなたへのメールをこうして書いていまして気力が回復しました。またいろいろなことをやらなくちゃね。

 先生にもそんな時があるのですね。いつも元気いっぱいのように思っていましたが。でももし飲み過ぎの後遺症なら仕方がありませんけど。私も体を動かす気力がないときはハードディスクの整理やメール書きなどをしています。雑誌に紹介しているフリーソフトを試すのも楽しいです。あと何か勇壮な曲を聞くのも効きます。私の場合は宇宙戦艦ヤマトが効きます。試してみてはいかがですか。ところで先生のOSは普通にWindowsですか。手作りマシンにこだわるようにLinaxとかかわったものをつかっていらっしゃるんですか?

ですよ。江戸時代には、厠は別にありましたが、ロンドンやパリでは、それが存在せず、窓から投げ捨てていたといいます。汚いことが平気な民族なんですね。

 しかし世界に先駆けて地下下水道をはりめぐらせていますよ。一事をもって万事を推測するというのは感心できぬように思います。まあ、遊びで議論するときはそれくらいの思い込みの激しさでしたほうがおもしろくなりますが、そうでない場合はもう少し公平に見てあげたほうがよくありませんか。日本人がもし高層建築に密集してすんでいたら上の方の連中は同じことをしたかもしれません。日本はほとんど平屋で、土地もゆとりがあったようですからね。

 ええとですね、私はこう思っています、大胆に言い切っちゃいますが、卑弥呼という存在はいなかったのだと思いますよ。あれは中国がでっちあげた存在ですよ、。

 うん、これはほんとに大胆な発言ですね。初めて聞く意見です。確かに姫彦制と言う言葉があるくらいですからそういうシステムの小さな国が始めのころはたくさんあったのでしょう。武王が使いを送ったのが確かなら、その中の一人が使いを送っていてもおかしくはないのではありませんか。倭人伝という言い方は日本人が言いだしたそうで、元の魏志には伝というほど大きな章を一つ立てているわけではなく、はっきり覚えていませんが、何かの章のなかのほんの一部分に倭人のことをちょっと書いたという程度だと読んだ覚えがあるのですが。麗々しく書いたのならともかく、自分で軽べつしているような野蛮人の国が朝貢に来たよとついでのように書いたところで何か権威付けになるとはおもえないんです。
 木蘭はちっともかわいそうじゃありませんよ。戦争に行かなかったら後は結婚するしかない時代です。知らない人と結婚して姑と舅にいじめられて自殺した話は中国にもたくさんあるあるでしょう。幸不幸が運できまるわけです。戦争で立派にやっていける実力があるなら広い世間を見て自分で生きていくほうが楽しいじゃありませんか。川島芳子のことはまとまったものは読んでいませんが、ラストエンペラー関係の本で少し読んだとおもいます。彼女が男装したのは何か目的を達するためではなく、ファッションとしてのようですが。数奇な運命ではありますが、何かの目的のために働いたのではないのであまりドラマチックではありませんね。ジャンヌ・ダルクのような話が好きなんです。

   Thursday, September 23, 2004 6:57 PM
Re: 大胆発言に、ドキッ。

 こうして返事を書くのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。

先生にもそんな時があるのですね。いつも元気いっぱいのように思っていましたが。でももし飲み過ぎの後遺症なら仕方がありませんけど。

 私はほぼ毎日二日酔いですから、飲み過ぎというのは実に毎日なんです。まあこうしてメールを書いていますと、だんだんと気力も回復していきます。今はさきほどからずっと何人もの方にメールを書き続けています。

ところで先生のOSは普通にWindowsですか。

 Windows XPです。Linaxというのは使う気はないのですよ。とにかく、パソコンは楽に使えればいんです、また新しくやり直すのは大変です。

しかし世界に先駆けて地下下水道をはりめぐらせていますよ。

 そうですね。ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」を思いだします。

一事をもって万事を推測するというのは感心できぬように思います。まあ、遊びで議論するときはそれくらいの思い込みの激しさでしたほうがおもしろくなりますが、そうでない場合はもう少し公平に見てあげたほうがよくありませんか。

 言われる通りです。どうも私は偏見に満ちたところがあるんですね。とくに欧米に関してはそうなのですね。

うん、これはほんとに大胆な発言ですね。初めて聞く意見です。

 そうだと思います。私は随分昔から、こう考えていたのです。
 陳寿の書いた「三国志」の「魏書」の中に、「烏丸・鮮卑・東夷伝」がありまして、そのさらに倭のところを書いている一部を「倭人伝」と私たちが言っているだけです。
 女王卑弥呼が魏に使いを出して「親魏倭王」といわれるようになるのは、西暦239年です。その10年前に、西域の大月氏の王が同じように魏に使いを出して、「親魏大月氏王」とされます。この大月氏の仲立ちをしたのが、曹真であり、卑弥呼のときは、司馬懿でした、この同じ239年には魏の明帝が亡くなり、曹真の息子の曹爽と司馬懿が権力を持って、8歳の曹芳が帝位に着きます。
 この権力を握り、やがては三国時代を統一する晋を作った司馬懿をこそ讃えるために、10年前の曹真と同じ迫力にするために、卑弥呼の国もまた大月氏と同じくらい大きな国とされたのです。
 そしてさらに、過去研究者が解けなかった、方位の問題があります。あれをそのまま読んでいきますと、邪馬台国は、実に呉の南に存在する大国になります。このことは、方位を間違えたのではなく、未だ敵国であった呉国に脅威を与えるためだと考えられるのです。
 私はこの邪馬台国のことをある程度詳しく知りましたのは、中央公論社「日本の歴史全26巻」の第1巻目の井上光貞さんの書かれたものからです。たしか高校2年のときでした。私はこの井上光貞さんの書かれているものを読んで「ああ、やっぱり邪馬台国は大和にあったのだろうな」なんていう思いになったものでした。
 それが、その後さまざまな本を読み、とくに陳寿「三国志」に関して、いくつかの本を読んでいきまして、「どうも陳寿はかなりいい加減なことを書いていたんだな」と感じてきていたのです。それがこの邪馬台国女王卑弥呼への思いになってきたものです。
 その後、あまり日本の歴史について、それほどの関心もなくなってきていたのですが。近ごろ、この私の「邪馬台国なんて、陳寿のでっちあげサ」ということと、同様のことを言われる歴史家他の存在を何人か知りまして、「ああ、やっぱりなあ」という思いになりました。
 まあ、今後の研究でさらにはっきりしてくることがあるかと思っています。

木蘭はちっともかわいそうじゃありませんよ。

 木蘭に関しては、あんまり知りません。大雑把なことくらいだけの知識です。Mさんと話すのには、ちゃんと知らないとまずいなという思いです。
 また。萩原周二
(第218号 2004.10.18)