柳田国男の二つの中心

 この吉本隆明鈔集でのこの言葉は

(「わが歴史論」1987.7.5我孫子市市民会館で行われた「吉本隆明講演会」(主催我孫子市史編纂室)の速記記録に全面的に筆を入れ、)

で私が選んだものです。(またこの言葉は、私の「吉本隆明鈔集」で今後出てきます)

11090709 この我孫子市の講演会のときには、私も友人二人と行きました。会場入口で大和書房「吉本隆明全集撰」の署名セールに協力しているのでしょうが、吉本さんは懸命に署名されていました。吉本さんがあんなことやるなんてめずらしいことです。私も署名してもらいました。吉本さんはもっているサインペンが薄くなって、それを気にしていましたが、大和書房の社員(と思われた)の二人は、売ることばかりにかまけてそんな吉本さんのことをかまっていませんでした。思えば、私がすぐにどこかの文房具屋に走っていって、サインペンを買ってくればよかったんですがね。
 当日の講演会は不思議な感じがしました。最初に我孫子市長の挨拶があって(我孫子は柳田国男にかなりゆかりのある町なのです)、それが保守系の市長なものだから、なんだかそぐわない感じもしたものなのです。
 いや「保守系」だからではなく、もちろん「革新系」とかだともっとおかしいわけだけど、なんというか、NHKでは絶対に出さない評論家とまでいわれている吉本さんのことを、市長は挨拶の中で、

  戦後最大の思想家であり、また詩人でもある……

などと紹介しているのです。吉本さんが60年安保ではブンド全学連の学生と一緒に闘った人であることを知っているのかな。
 でも講演の前に、市長は車で吉本さんを柳田国男のゆかりの地を案内したとのことですから、少しはいろいろと判っていたのかもしれません。。

 講演はかなり熱の入った長いものでした。私にはかなり吉本さんの柳田への愛というようなものを感じました。ところが「柳田国男論集成」の第1部「柳田国男論」を読むと、吉本さんは柳田に対しても、かなり厳しい人だなという印象があります。その私の中で感じる、吉本さんの柳田への「愛」というようなものの乖離は何なのかななんてけっこう考えてきました。このごろになってそれがいくらかぼんやりと判ってきた気がします。いつかそれをもっと明確に書けるようになっていきたいなと思います。
 吉本さんの講演の内容では、柳田の「山人」などの話ではなく、「神武天皇の話」という印象が私には強かったのです(これは私の印象です、講演の内容は読んでもらえば判りますが、けっして神武天皇の話ばかりではありません)。
 私が昔習った社会科などでは、「神武天皇なんてまったく架空だ」などと教えられたものでした。でも本当はどうなのでしょうか。柳田国男が折口信夫と一緒に天皇陵へどんどん入っていこうとして、守衛に止められた話を思い出します。吉本さんも、昔天皇陵を公開してしまえば、天皇制の問題はあらかた型がつく(ただし、あと二つの条件も言っていましたが)と言ってましたが、このごろは(87年ころから)は、もはや宇宙からの視線ではっきりとしてくると言っています。

ランドサットの映像

 僕らは都市論というのをやったわけですが、初期の天皇制の成り立ちや性質がどうだったのか、それから神武から崇神までは、実在していたのかどうか、そういうことについての関心も、ランドサットの映像みたいなもので、はっきりと目に見えるように映像として解けるはずだと思います。
1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された

 考古学で苦労して掘っていく方法を宇宙からの視線で超えてしまったのだろうか。私は全国の天皇陵を公開発掘していけば、もはや天皇制の問題ははっきりとしてくると思っていたが、もはやこの宇宙からの視線でそれもどうでもよくなるのかもしれない。

 ちょうどこの問題は、樋口清之との対談でもかなりなことが話されています。またそんなことを詳しくみていくべきかなと思っています。
 それにしても柳田は「山人」からの視線でそのことは判っていたのではないのかな。だけどどうしても彼は「山人」という魑魅魍魎のみには身をおけなかったように思えます。いま柳田はあの世とやらで、天皇と一緒にいるのだろうか、それとも山人と一緒なのだろうかなんていつも思ってしまうのです。
 私はもちろん魑魅魍魎のほうが大好きです。私はそちらの子孫ですから。

 柳田国男に私が初めて触れたのは、中学2年のときに角川文庫で「日本の昔話」「日本の伝説」を読んだときからです。なんだか判らないが、こうして日本の民俗にとりくむとてつもない人というような印象がありました。よくNHKテレビなどでやる日本各地の民芸の踊りなどを、私たちなら最初の5分であきてしまうようなものなのに、それを現地へいって何時間でも見ている人というような感じをもったものです。そして「海上の道」を読んだときの驚き、それは内容の豊さとか面白さではありません。第一私はそのときは高校1年で、内容なんかよく判らなかった。ただただ、その執拗なまでの緻密さみたいなものに驚いたのです。
 ただどうしても、私たちのまわりには柳田を語り、折口信夫を語る(といっても、うわっつらだけ、当然私もだが)輩が多すぎます。ために何故か真面目に読み込んでこなかったように思います。もっともっと読んでいかなければいけないのでしょうね。
 しかし私の人生で間に合うのでしょうか、そんな気もしてくるのです。気持はあせるばかりで、柳田も折口も遠くにかすむだけなような気がします。
 とにかく、みな巨人なのですね。私はとてつもなく自分の小ささに嫌にもなってきます。(1993.09.09)