11091011 浦安で山本周五郎と鎌倉孝夫のくだらない論争を思い出したに目森一喜さんからの次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年09月04日 22:28
 マルクス主義は脱亜入欧の一環です。あの人たちは、海外の動向の風向きばかりをうかがって右往左往することに血道をあげて来ました。今も同じです。
 よほど鈍感でないと、マルクス主義者や進歩派、環境派はつとまりません。

 その通りなのですが、鎌倉孝夫という人は、私こそがマルクス主義者だと強烈に思い込んでいたのですね。共産党ではなく、日本社会党こそがマルクス主義の正統な後継者だという思いだったのでしょう。どうでもいいし、くだらないのですが、でもこの人は今もそう思っているのでしょう。いろいろと、この人をけなしたい思いはありますが、なんか無駄な気もしますね。
 でもそういう馬鹿阿呆はいいのですが、問題は山本周五郎です。私は「たしかちかじか、このことを少し書いた私の過去の文章をUPします」と書いたのですが、実に嫌ですね。
 私の追悼私記15「藤沢周平のこと」に私は次のように書いています。

そして山本周五郎ですが、藤沢周平は同じような資質の作家、周五郎の影響下にあった作家だと思われがちですが、私にいわせれば、これまた冗談じゃありません。
 周五郎の「青べか物語」って、本当のお話なのかな。なんだか「浦安は本来こうあるべきだったのだ、きっとこうだったのだ」とデッチあげられている気がしてしまいます。「さぶ」で寄場送りになる「武松」(ほんとうは違う名前だけど今は思い出せない、寄場でこう呼ばれるんだよね)が、その原因になる犯罪を犯したとされるのは、最後の最後に、彼の妻になる女のせいだったと分かるのだけれど、あんなことあるのかい。ひどすぎやしないかな。
 山本周五郎は、あまりに「人間はこうあるべきだ、人間はこんなに素晴らしいのだ」という思いが強すぎるように思えます。そうではなく、人間は生きているなかで、嫌な存在にもなり、素晴らしい存在にもなります。塵芥のような人間もいれば、珠玉のような人間もいるのです。ただその中でその珠玉のような存在やできごとに会えたことを、そのまま淡々と描けているのが藤沢周平なのです。

 私はこの山本周五郎の「さぶ」を思い出していて、さぶ、栄二(「さぶ」の主人公)、おのぶ、おすえを思い出し、私は心の底から、この作品が嫌いです。この作品で、私は山本周五郎がまったく評価できなくなったのです。それはこの作品で、栄二が寄場送りになる(栄二が罪を犯した、犯人だという点)が、その真実がまったく嫌なののです。
 そのことをかなり考え込んでいまして、全部書いて、「いやおかしいよ」と言い出そうとも思いましたが、もういいでしょう。この作品で私はもはや、それ以降山本周五郎の作品を一切読まなくなりました。さぶをどうしてもかばってしまう栄二や、その二人を見つめるおのぶの姿は好きになれるのですが、栄二を寄場送りにする人物や、そして一番は、私はそういう真相にした作者が許せないのです。
 私は山本周五郎は最後の「おごそかな渇き」まで、大量に読んできた作家です。でももうどうでもいいなあ。
 そんなことばかり思いました。