私の 「続不況についての考察−特に消費税のこと」 (1993.10.20)目森一喜さんからのコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年10月17日 11:07
山川菊栄は東京の人ですが、母親は水戸の人で青山延寿の娘ですね。幕末の殺し合いさえなければ、水戸からはもっと優秀な人が出ていたんでしょうに・・・私の大好きな文学者樋口一葉の短歌の師匠も水戸藩士の妻女で、あの殺戮合戦で夫を亡くされた方だったと記憶しています。

11102508 まずこんなにレスするのが遅くなり申し訳ありません。いや私はどうしても孫のじゅにのことで、なにやかやと忙しいことです。じゅにの見舞いに行くことで、往復で5時間近い時間を費やしています。その意味では今はパソコンではなく、IS01というスマートフォンがあって実にいいです。これでどこでも、とくに電車の中でもインターネット上にUPできますからね。
 ブログにでも、メールにでも実に簡単です。昔は電車の中で、ノートとPHS(あるいは携帯電話)で実に面倒なものでした。このことが、今でも電車の中でノートをいじっている40代の男性(ほぼ私が見る限り、この年代が多いです)に、「まだあんなことをやっているのか」と思ってしまうところです。

 ところで、やはり水戸の(いや茨城県全体でしたが)、幕末明治始めの殺戮合戦はどうにも嫌になります。薩長もとめないのだよね。
 水戸諸生党は、一旦会津へ行くのですが、土方歳三らは、そのあと函館へいくのですが、何故か諸生党だけは水戸へ帰ってきて、そこで水戸天狗党と最後の血戦が行われます。日本の歴史の中でも誰もまともに見ていません。両方ともに、尊王攘夷であり、同じ茨城弁で喋る同じ茨城人です。おそらく、薩長も幕府側も、もうこの殺戮戦には、「我関せず」というところだったでしょうね。
 といいましても、私にも天狗党の血が流れています。私も、同じ茨城の人でも、心の中で「その苗字だと、諸生党じゃないか」なんて思っているところがあります。
 でもでもその私でも、この明治になっての血戦だけは嫌になってきます。
 水戸天狗党の首領とされた武田耕雲斎の孫の金次郎が、彼は若かったから(まだ未成年だった)遠島処分だけで、それも実行されないまま、明治になり、彼は官軍となりますが、彼が求めたのは、故郷の水戸へ帰って、諸生党退治だけでした。そして殺戮戦がまた始まるのです。
 彼のかぶるシャグマ(幕末明治最初に官軍のかぶるもの)は、殺した諸生党の血で真っ赤に染まっていたといいます。

 私には、山川菊栄は、戦前の社会主義活動家というよりは、「幕末の水戸藩」を書いた著作者です。そして岩波文庫の表紙にある顔写真とともに、けっして忘れられない人なのです。
 樋口一葉も小説は大好きなのですが、目森さんのおかげか、いつもこの水戸天狗党と関連して思い出してしまう作家なのです。