11111610 もうすぐ神田会です。名簿を用意したりいろいろしました。あとは飲むだけです。ただ、私は2日間完璧に徹夜なのですね。昨日の昼に少し仮眠を取るつもりでいたのですが、来訪者がありまして、その相談でその機会がなくなり、そのままです。これで飲んだらまずいかな。なにしろ神田会は飲むんですね。会場を探すのが大変なのです。宴会時間って、2時間が多いじゃないですか。延長しても30分でしょう。無理を言って1時間の延長。でも神田会はそれじゃだめなのです。2時間半くらいでおわると、必ず2次会になってしまし、そここそ効率が悪い(いや、誰がどこかへはぐれただの、どこへ行ったか判らないなどと大変です)ので、すべて1軒ですむのがいいのです。
 それで本日は4時間貸切です。これはいいなあ。
 でも思えば、浦和会というのは、いつも3次会4次会5次会とやっていたものでしたね。土曜日の午後6時からはじめて、次の日の昼をすぎても、まだ飲んでいまして、私は午後3時ころになって逃げ出したことがあります。今の浦和会はさすがに、朝の8時ころ解散です(いえ、最後の店のマスターが大歓迎してくれるのですが、さすが「もう朝だから、私を眠らせてよ」というんですね)。
 そんな話はさておき、本当はいろいろなことをいいたいわけです。
 今月18日は、「芝浦工大事件」のあった1969年9月18日からちょうど30年でした。埼大生かつ中核派の活動家であった滝沢紀昭さんが、芝浦工大で「反戦連合」がやってきたときに、2階から飛び降りて、脳座礁で亡くなってしまった事件です。そして私は、その滝沢さんを襲ったと言われる側の人間でした。30年というので、私の友人たちや先輩たちが、何人も滝沢さんの墓参りに行きました。滝沢さんのお父さんは87歳、お母さんが76歳でお二人ともお元気で、わざわざ埼大の人たちが来たということで、大歓迎してくれ、大量の酒が出まして、みな帰れずに,しこたま飲みまして、その日夕方からありました小野田襄二さんの出版記念会には、出席できなかったということです(小野田さんも埼大の先輩なのです)。なんだか、中核派だ、反戦連合だという前に、埼大生ということで、酒が酌み交わせるなんていいことです。
 私は、前々から予定していたことがありまして、どちらにも参加できませんでした。でもこの18日は、私は朝から、さまざまなことがあり、真夜中まで、上の芝浦工大事件の思い出含めて、感慨深い日でした。
 本当はそんな思いをたくさん書き残しておくべきだよなと思っています。(1999/09/29 18:34:30)