11120105 何年か前にニューヨークにいる友人が電話してきて、話のおわりに突如吉本さんの「歳時記はいいね」と言い出しました。「そりゃそうだよ」といいながら、電話のあとまた本を手にとってみました。

 この本の最初にこうあります。

  わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に
 中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇
 は自然の季節にかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる
 姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光とか屋根や
 街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。
 景物が喝えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。                                                                     (「春の章−中原中也」)

書名  吉本隆明歳時記
著者  吉本隆明
発行所 日本エディタースクール出版部

 最初が中原中也なのですが、私は中也のいい読者ではないのです。でもこうして春の季節の中に扱われる中也をみていると、もっと読んでみようかなという気持になってきます。中也の詩集をあらためてまた開いてしまいます。

  詩に憑かれ、少年期を脱する頃じぶんを天才だとかんがえた詩
 人はたれも、中原中也のように詩をこしらえ、それ以外にはなに
 もやる気がしないし能もなく、生活に適応できないじぶんを鍛え
 ていくにちがいない。けれどかれがある時、空しさを感じて、詩
 をこしらえるのを諦め、小さな生活の環を大事にしだしたとした
 ら、たれもほっとするだろう。これは天才を遇する俗世の声であ
 る。あるいは子を遇する父の声だといってもよい。中原中也はこ
 ういう詩と詩人の存在の仕方のメカニズムについて、たぶん気づ
 いていた。それだけ凡庸の何たるかを知る心さえもっていた。け
 れど宿業がかれを詩作へひき戻して離さなかった。かれにおける
 自然の景観や深い季節感は、この宿業の不可避さの代同物である
 ような気がする。         (「春の章−中原中也」)

  そのほか、梶井基次郎、堀辰雄、立原道造、嘉村礒多、葛西善蔵、正宗白鳥、牧野信一、宮沢賢治、長塚節、そしてそのほか何人かの詩人歌人が扱われています。ひとりひとりの詩人たちを季節の中に解明するその言葉に眼を見張る思いがあります。私にとっては小説でしか知らなかった、そしてそれほどひきつけられて読んだわけではないこれらの詩人たちが、あらためてその息吹を感じることができた気がします。
  例えば、梶井基次郎の「桜の樹の下には」をみたところでは、

  この自然詩人は中原中也とちがって、季節のように繰返し経め
 ぐる悔恨と希望にさいなまれることはなかった。かれにとって自
 然はただ、生と死によって両端をおさえられた<祝祭>や<儀礼>と
 同一視された。かれの自然は季節のように移ろわない。ただ生と
 死とが自然の起源から終末にかけて繰返し交替し、人間の生涯も
 また誕生から成人に、成人から老衰へ、老衰から死へと、いわば
 小さな生死を繰返されるものと認識されていた。認識されていた
 というよりも無意識のうちにそう見做していたといった方がよかっ
 た。たぶんそれは、肺結核というその頃は天刑病のようにみなさ
 れて、安静と栄養と自然治癒のほかに手だてがなかった病気と関
 連があった。          (「春の章−梶井基次郎」)

というこの詩人の資質を述べ、

  ではこの切実な病身の詩人に生の恢復がやってくるとすればど
 うやってくるのか。かれの肉親や知友がかれを救うのか、社会が
 かれを救うのかわからぬ。ただ確かなことは感覚を生理に同調さ
 せ、生理を自然の敏感な反応器自体に化して、異和がなくなるま
 でに到りついたときに恢復はやってくるにちがいなかった。かれ
 にはそれはやってこななかった。反対に死がやってきたのである。
 死はどうしてやってきたのか。自然に鋭敏に反応するかれの生理
 的身体の消耗が、もっとも陥没する冬の季節を超えて春まで耐え
 えなくなったときである。    (「春の章−梶井基次郎」)

といっています。こうしたことからまた彼を読み直してみれば、もっとこの詩人に迫れるよう思います。
 なんだかいくらでもあげていきたい気がしてきます。

  たとえてみれば米粒のうえにどんな微細な文や図柄を巧みに描
 いても所詮は巧みな<芸>以上のものではない。なぜならば対象の
 選択力に内的な衝迫と必然がなく、ただ珍しいための限定しかな
 いからだ。それと同じことであった。この方法を極限まで追いつ
 めていったのが長塚節であった。そして極限まで追いつめられて
 いってはじめて、子規派の『万葉』の歌の把握に重要な欠陥があ
 ることが露呈されたといってよい。  (「冬の章−長塚節」)

 これを読んで、私には退屈で暗い「土」の作者でしかなかった長塚節が生き返ってきた思いがします。また私にとって苦手だった短歌を読み取ることも少しはできるようになった気もします。忠実な正岡子規の学徒だった節が死の直前にたどりついたものを感じとることができました。
 ではこれら自然詩人たちが生きてきたそもそもの<季節>とは何なのでしょうか。

  詩歌の主題として季節がある普遍性をもって時代を超えてきた
 のはじつは不可解なことにちがいない。それは<アジア的>な特質
 のひとつであった。           「季節について」)

 ヘーゲルは世界史な視野から<アジア的>な<自然>に言及した。このヘーゲルの<アジア的>な<自然>に関し概念を次の3点で展開しているといいます。

 1.<アジア>では、<自然>は人間の自然意志の否定の上に成立っ
  ているから、この概念は絶対的な存在の概念と手易く一致して
  しまう。
 2.<アジア的>な<自然>の特質は「高地」と「盆地」の両地域の
  全面的な対立にもとめる。このヘーゲルのいう「盆地」とは、
  デルタといってもいいのかもしれない(ただしこれは周の解釈)。
 3.第2の点に海への通路を加えたアラビアのような「前方アジ
  ア」である。ここでの「高地」が象徴するものは遊牧である。

  わが列島の<アジア的>な<自然>規定は中国と、中国を経たイン
  ドの農耕的な原理を高度な哲学や宗教的な思想となった後に海を
  通じて受容した。それは自然意志のままに生活していたひとびと
  の上に<自然>を唯一の絶対者にまで高めた哲学と宗教と制度を強
  引に接木することを意味したにちがいない。島々という原理は海
  に囲まれた閉域という意味と農耕<アジア的>な文化の受容という
  意味をもっている。わたしたちの列島が古代に入ったというその
  ことが、ヘーゲルのいう<アジア的>の三つの原理を小規模に庭園
  的に併存させることにほかならなかった。中国とインドの <アジ
  ア的> な<自然>規定を制度によって受け入れる以前にはこの島々
  はシリアや小アジアやアフリカの原理をもっていたかもしれなかっ
  た。そして古代の末期はひとまず中国とインドの<アジア的>な原
  理がいわば膚身についた時期にあたっていた。そして端境アジア
  的というべき融合が自然観にあらわれた。(「季節について」)

 中国インドから<アジア的>な<自然>規定を受け入れたとき、同時に制度的な<自然>規定も受けとり、この季節の概念をも受け取ったと考えられます。ところが、我が国の空間の中には、「みちのく」や「つくし」のように、ちがう季節が推移すると思われる異地域もあったわけで、そこでさまざまな<季節>への各詩人たちの思いが生まれたように私には思えるのです。